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東日本大震災から6年、その時科学映像館は・・

2011年3月11日午後2時過ぎ、私は大学時代の同級生から電話で居間に。その時この大地震が発生、川越は震度4強、東京の息子の家族に電話するもつながらず、不安に。テレビが続々と地震の被害状況を。

翌日から科学映像館サイトが騒がしくなる。2010年11月配信を始めていた「黎明」「福島の原子力」にアクセスが殺到。配信時、2,3度メタデータのため映画を閲覧するも、これらの映画には特別の思いもなかった作品である。3日目、4日目になると、福島の原子力発電所が危険な状態に。Twitterを介して多くの方がこれらの映画を。この映画は東電が企画した作品、いわばプロパンガンダ映画。この映画の配信はいいのか、どうか?反対の電話もあったが、これぞ将に負の遺産であり、そこに配信する価値ありと判断、配信を続行して今日に至る。
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その後、これらの作品は在京テレビ局の目に留まり、突如、当館は渦中に・・・。NHKを始め民放各局が30回以上、2次使用。即日使用の申し入れもあり、製作会社を説得して交渉は当館が行い事後承諾に、使用料は無料に。しかも、これまで2次使用であいまいであった点を指摘し、出典を明らかにすることを放送局に提言、番組HPにURL記載も。1か月後にサーバーがパンク、関連映画のみを隔離することに。

さらに、海外にも飛び火、BBCを始め5か国、8番組がこれらの映画を2次使用。ウェストストリートジャーナル電子版での紹介、ドイツ労働組合からのDVD使用の申し入れとうとう。こういったときに
よくあることだが、英語版を作ってはとか、You Yubeに掲載してはとか、いろんな申し入れも。
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6月に入り、宮古出身者から1枚のDVDが届く。これが「東日本大震災巨大津波」。宮古市市役所広報課職員が市庁舎3階ベランダが津波の模様を30分間撮影した無編集の映像。音は津波とスタッフの声のみ、これが返って津波の恐怖と教訓を。この映画も多くの方からの反応、各地の催しで使用された。
これらの映画以外に当館は「目で見る福島第一原子力発電所」「原子力発電の夜明け」「半歩、立ち上がる人達」「大震災を乗り越えて」を配信している。お暇の際、これらの作品をみて大震災をもう一度想い起こしていただきたい。

少し落ち着き、私達でできることは何だろう?何かないかと自問の日々。東北地方の映像を被災者に贈り、明日への元気になればと。助成金を申請、幸い2件が採択され、秋から翌年の春に向けて準備にかかる。その一つは「東北の記憶」東北祭り、よみがえる金色堂など13編を2枚のDVDに収録、500セットを製作。もう一つは「日本の記憶」日本の祭り等12作品。これらは盛岡市の「SAVE IWATE」を介して主として岩手県の仮設住宅居住者に配付。その際、少しで地元の復旧に繋がればと災害を被った釜石市の電気店でビデオを購入、配付。大変感謝される、TVは支給されるも再生機がなかったようである。

大震災を介して映像遺産の保存、公開と共有化の大切さを痛感するとともに、その中で私達「科学映像館」が少しでも社会に貢献できたことは、貴重な経験であり、財産であり、以後の活動の大きな糧となっている。
by rijityoo | 2017-03-12 10:28 | Comments(0)