久米さんの科学映像便り
rijityoo.exblog.jp
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
カテゴリ
ブログジャンル
ランキング参加してます♪
記事ランキング
最新の記事
以前の記事
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
プロフィール
科学映像館理事長の久米さん。映像遺産を守り、生かすための日々!
ファン
画像一覧
カテゴリ:科学映像館物語(18)( 18 )
科学映像館物語 18~終わりに~
18回にわたって掲載してきたこの物語も、今回2012年の活動を紹介して一度幕を下ろしたいと思います。科学映像館の運営も本年度の4月1日で6年目に入る、一つの節目の年にもなります。そこで5周年記念として二つの事業を企画しました。その一つは5周年記念(配信500作品)作品の配信です。作品は雪にいどむを選定、HD化を行い配信しています。

もう一つは配信フォーマットの変更です。運営費の問題もあり、これまでWindows Media Playerのみで配信せざるを得ずMacintosh利用者には大変ご迷惑をお掛けしてきました。しかしスマートフォンの普及やその性能なども耳にするなかで、全端末に対応できるよう配信フォーマットを変更する必要性が高まってきました。そこで2012年3月末に種々検討し、4月1日からのフォーマット変更に踏み切りました。

みの電子産業株式会社は3月中旬に新社屋に移転したばかりで大変多忙な時期だったにもかかわらず、今回の配信フォーマット変更にあたって全面的協力していただきました。僅か5日間でフォーマット変更を行い、3月31日の夜(正確には4月1日午前0時40分)に無事変更作業が完了してMacintosh、スマートフォンを含め全端末での視聴が可能となったのです。

その効果は着実に表れており、視聴者のOS別内訳はWindows約70%、iOS約12%、Macintosh約8%、Android約6%、およびその他と多様なユーザーが科学映像館を訪れ、配信作品を視聴しています。今後Tablet PC等による利用も増加するものと思いますが、より多くの方に配信映画を楽しんでいただき科学映像を広く活用していただければと願っています。

最後に、2007年4月1日の「NPO法人科学映像館を支える会」発足以来、多くの方々に我々の活動を見守っていただきました。ここに改めて心から感謝申し上げます.

また映画製作会社には多くの貴重な科学映画をご提供いただき、デジタル配信についても許諾していただきました。作品のデジタル化にあたっては、株式会社東京光音が高度の技術と誠実さをもって担当され、また配信サーバーの管理を担当していただいた、みの電子産業株式会社には法人創設以来お願いしてきた様々な無理難題にも快く対応していただきました。以上の会社に感謝の意を表します。

「NPO法人科学映像館を支える会」の運営や、映像配信に係る費用については、多くの個人、企業からご支援をいただいております。これらの寄附金の他にも「独立行政法人福祉医療機構助成」、「赤い羽根『災害ボランティア・NPO活動サポート募金』助成金」、「埼玉県文化振興基金助成金」、「年賀寄附金配分による社会貢献事業助成」など多くの助成金による支援を受けております。これまでのご支援に改めて感謝申し上げます。

このほか多くの方から、まだ配信されていない科学映画などに関する情報をご提供いただくとともに、科学映像館ウェブサイト運営の技術面でのバックアップや励ましの言葉などもいただいております。これらは科学映像館の運営を続けていくにあたって本当に大きな励みになり、力となっております。科学映像館の運営を支援し応援してくださっている皆様に、改めて心からお礼の言葉を申し上げて、この科学映像館物語の幕を下ろしたいと思います。有難うございました。
[PR]
by rijityoo | 2012-11-18 15:23 | 科学映像館物語(18) | Comments(0)
科学映像館物語16への補足
2011年は原発関係映画と被災地支援に明け暮れた1年でしたが、実はもう一つの画期的な出来事がありました。この内容については近々に明らかにできるものと思っております。

配信映画は創設以来医学・歯学系の学部、大学院で授業やセミナーによく使用されていましたが、その後さらに薬学、食品関係学科へと広がりを見せていきました。

この動きは昨年、さらに工学関係学科にも広がっていきました。昨年から本年にかけて問い合わせが多くなった映画として振動の世界が挙げられます。

1940年11月7日、振動工学史上の一大事件が起こりました。世界第3位の吊り橋であるタコマ橋(米国)が、風速わずか19m/sの風で共振し、崩壊してしまったのです。その映像がこの「振動の世界」に収録されているのです。しかもこの映像は近隣の写真屋さんが撮影した貴重なものでした。

「丁度この頃日本では吊り橋の建設計画があり、一時工事を中止する事態となった」という話をこの映画の制作者から伺いました。この映画については、企業の新人研修会で使用したいとの問い合わせが次々に舞い込んできました。

また昨年は被災地の支援事業以外に、年賀寄附金配分による助成事業として「教育映画の理科教育のための支援事業」が採択されました。若者たちの理科離れが問題になっている今日、配信映画を通じて科学の大切さ、面白さを子どもたちにも知ってもらうため「こども大学川越」などにおける映画の上映会や、徳島県美馬市における17の小中学校で映画を取り入れた授業が試みられ、大きな成果が得られました。
徳島県美馬市小中学校の授業に映画の使用

さらに「ふくい科学学園」と協同で映画の内容に関連した理科実験を行い、子供たちに科学技術への関心と興味を体験させようという新しい試みも行っています。科学映画の内容から様々な理科実験が引き出されるアイデアの豊かさは見事なものです。また子供たちも目を輝かせて実験に取り組む姿は本当に素晴らしい。子供たちの今後が楽しみですね。科学映画の活用は我々が望んでいたことであり、今後の展開を一層楽しみにしています。
b0115553_2234517.jpg

[PR]
by rijityoo | 2012-11-15 22:26 | 科学映像館物語(18) | Comments(0)
科学映像館物語 16 ~東日本大震災と科学映像館~
科学映像館物語、第16回は2011年の活動を中心にお話を伺いたいと思います。先生、どうぞ宜しくお願い致します。

2010年後半から2011年初めにかけて「埼玉県NPO大賞」に参加していましたが、前回でもお話したように残念ながら入賞はなりませんでした。その後はまたいつもどおり映像配信を継続していましたが、2011年3月11日に発生したマグニチュード9.0、最大震度7の大きな地震と、地震による津波などの災害―後に「東北地方太平洋沖地震」、そして「東日本大震災」と呼ばれる―によって、科学映像館は図らずも注目を集めることとなります。

震災によって配信作品が注目を集める

2010年11月頃、通常の配信作品として福島第一原子力発電所の建設準備調査記録を描いた黎明と、福島第一原子力発電所1号機の建設過程を記録した福島の原子力を加えました。原子力発電に関する作品としてはこの他に原子力発電の夜明けがあり全部で3作品になるのですが、正直なところ私たちはこの作品に何の特別な感情も持っておらず、様々な配信作品の一つに過ぎないと考えていました。

配信作品に加えた当初は再生回数も月間2-30回程度でした。ところが2011年3月11日に地震が発生し、その後に発電所の事故(後に「福島第一原子力発電所」と呼ばれる)が発生した3月14日頃から、再生回数が一日で数百回程度にまで激増しました。

そのきっかけはTwitterでした。Twitterで「黎明」と「福島の原子力」、そして「原子力発電の夜明け」が取り上げられたことで情報が広がり再生回数が増えたのです。上記の3作品だけで、2011年3月の再生回数は合計5万回を超えるまでになりました。再生回数が激増したことでサーバーも従来のままでは対応できなくなり、この3作品だけは別にして対応したのです。
b0115553_22352758.jpg


この3作品の配信については、実は当時いろいろとありました。細かい話は控えますが、作品内容の関係から「政策や企業のプロパガンダに加担するのか、『提灯を持つ』のか」といったような声もなかった訳ではありません。もちろん科学映像館としても無用な摩擦や混乱をわざわざ招くようなことをする理由もありません。一時はこのような周囲の事情を鑑みて作品配信を見送ろうとしたこともありました。すると今度は「大企業の圧力に折れて貴重な映像配信を止めるのか」といったような声も届くようになり、結局そのまま配信を継続するようにしたのです。

ちなみに「大企業の圧力」といったようなものは今まで一度もありません。

映像の話に戻りますが、Twitterからの情報がマスメディア関係者にも伝わったのでしょう。3月17日には、日本テレビの「NEWS ZERO」やテレビ朝日の「サンデー・フロントライン」など複数の番組から映像使用の問い合わせがありました。その後もメディア関係者から科学映像館に多数の問い合わせが来るようになりました。通常映像使用に関する問い合わせは使用2,3カ月前くらいに来るのですが、予期せぬ事態の連続する状況であったため、数日前の問い合わせはまだ良い方で、場合によっては前日に問い合わせが来ることもありました。もちろん平日、土日関係なしです。3か月間でNHKを始め民放各社の報道番組などで30数回使用されたと思います。

そこで私は映像使用に関して日映科学映画製作所から交渉権を持たせてもらいメディア関係者への対応を一手に引き受けるようになり、そのなかで私は製作会社と協議のうえ大きな決断をしました。2011年6月末まで、震災関連報道で使用される作品の映像使用料を無料にしたのです。未曾有の大災害で多数の被災者が苦しんでいるなか、使用料や権利関係で些細な点まで杓子定規な対応をしている場合ではないと思ったのです。製作会社も、快く協力してくれました。

ただし放映される映像には「科学映像館」と「日映科学映画製作所」のクレジット表記をお願いするなどして、映像の出典を明確にしてもらうようにしたほか、番組ホームページ内に科学映像館のリンクを置いてもらいました。

テレビ局から多くの問い合わせがあったほか、朝日新聞電子版Asahi.comやWall Street Journal電子版でも取り上げられました。また英国BBCをはじめアメリカ、フランス、ドイツからも問い合わせがありました。一時期は科学映像館として空前の多忙な毎日となりました。

状況が多少落ち着いてきた2011年6月頃、宮古市の職員の方が撮影した津波映像を送ってもらいました。現在も科学映像館で公開していますが、これは一切の編集を行っておらず、効果音もナレーションも加えていない映像です。津波が押し寄せる状況を冷静に記録しているもので、それだけに資料としても非常に貴重な価値を持つ映像となっています。

震災の被災者と科学映像館

今回の震災では科学映像館はメディア関係者に映像を提供しただけではなく、岩手県や宮城県の被災者の方向けにDVDやDVDプレーヤーを寄贈するなど、震災に遭われた方への支援活動も行いました。

とても興味深いお話だと思います。詳しいお話を聞かせていただけますか。

これは「独立行政法人福祉医療機構助成」と「赤い羽根助成金」の支援を得て行った活動です。後者は正式には「赤い羽根『災害ボランティア・NPO活動サポート募金』支援事業」というもので、「東北関係映画による被害者の精神的復活のための支援事業」というものです。

この活動では震災に遭われた方に、「東北の祭り」や「よみがえる金色堂」を収録した3枚組DVD「東北の記憶」と日本各地の祭事や城址などを取り上げた映像作品を収録した2枚組DVD「日本の記憶」を各500枚用意したほか、再生用のDVDプレーヤーも200台用意しました。DVDプレーヤーは大手の量販店に発注するという手もあったのですが、地元の釜石で津波の被害を被った電器店さんに発注しました。出来るだけ地元密着の支援をと考えたのです。

当初は私も含め、岩手や宮城の仮設住宅を訪れ、手ずからDVDやプレーヤーを渡そうと考えました。しかし仮説住宅は各地に点在するほか幾つか問題もあり、現実的に考えれば難しいということで、盛岡市のSEVE IWATEにお願いしました。

この活動の反響は大きなものでした。被災者の方からは「素晴らしい機会を与えてもらいました」、「よくやってくれた」、「今回の贈り物は有難い」、「他の被災者にも是非みてほしい」、「今回の震災で全て失ったが、心からの贈り物に感謝します」など100通を超えるお手紙をもらいました。

東北地域は冬に雪が多く降るため、どうしても家などに籠りがちになるそうですね。震災で避難所や仮設住宅暮らしを余儀なくされた被災者の方にとっても、避難所などで皆一緒にこのDVDを鑑賞することで高齢者と若者が語り合うきっかけになるという話も聞き、少しでも社会的な貢献に繋がる活動ができて良かったと思いました。またこの活動がきっかけとなり岩手や宮城の方と知り合うことができ、新たな作品を入手するきっかけも得られました。

震災は本当に不幸な出来事であり、被災地によってはまだまだ再建途上であるといった状況かも知れません。一方で今回の震災を通じて、科学映像館にしかできない社会的な貢献の方法もあるのだということを知り、実際に科学映像館にしかできない活動を行って被災者の方を支援できたということには大きな意味があったと言えるでしょう。

メディア関係者向けに科学映像を提供する以外に、震災に遭われた方を対象としてDVDやDVDプレーヤーを寄贈するという、科学映像館ならではの支援活動を行ったという点を非常に興味深く感じました。次回もまた是非貴重なお話を聞かせて頂きたいと思います。先生、今回も有難うございました。
[PR]
by rijityoo | 2012-11-11 19:52 | 科学映像館物語(18) | Comments(0)
科学映像館物語 15~2010年の出会い 2~
科学映像館物語、第15回は前回に引き続き2010年の活動と、それらに伴う新たな出会いについてお話を伺いたいと思います。先生、どうぞ宜しくお願い致します。

今回は2010年後半の活動を中心にお話します。2010年後半には大きなイベントとして「埼玉県NPO大賞2010」への参加と、私の故郷である徳島県美馬市における文化祭での特別講演がありました。

「埼玉県NPO大賞2010」とはどのようなものだったのでしょうか。

これは全国的にも面白い企画でした。「特定非営利活動法人NPO埼玉ネット」が「平成22年度埼玉県NPO協同提案推進事業」として開催した事業で、実施要領によれば「先進的・創造的・社会的な活動を実践しているNPO法人を県民投票などによる選考を経て表彰することにより、優れた事例の普及とNPO相互の交流を深め、NPO活動のさらなる活性化を図ることを目的として『埼玉県NPO大賞2010』を実施する2010」とあります。埼玉県にはNPOがおよそ1,700あるのですが、それらがまず書類選考で30団体まで絞り込まれました。

その後さらに一次審査としてインターネット、ハガキ、携帯電話などを通じて上位10団体まで絞り込まれました。多くの方が投票してくれましてね。驚くことに「NPO法人 科学映像館を支える会」はこの一次審査を第1位で通過したのです。2010年12月2日のことです。

それは素晴らしいですね。

一次審査を通過した団体には二次審査があり、300名ほどの来場者を迎えたなか各団体が10分間でプレゼンを行いました。その後300名ほどの来場者と審査員6名による最終選考が実施され4団体が大賞として表彰されたのですが、残念ながら科学映像館は入賞なりませんでした。「埼玉県NPO大賞2010」は埼玉県に根差した活動を実施するNPOを表彰することを主眼としていたこともあり、必ずしも埼玉県内に活動を限定していない私たちは、それが入賞を逃した原因であったかも知れませんね。私のプレゼンも最悪でしたしね。

しかし入賞こそ逃しましたが、これをきっかけにまた新たな出会いがありました。ひとつはNPO法人子ども大学かわごえの事務局長酒井一郎氏との出会いです。この出会いがきっかけとなり、翌2011年には独立行政法人原子力開発機構の池田要氏と出会うこととなり、大きな話が生まれることとなります(この件は現在進行中ですから、最終決定後お話します)。

もうひとつは岩手県宮古市出身の川口功氏との出会いです。氏との出会いがきっかけとなり、昨年3月11日の大震災後の岩手は半歩歩き出すや、大津波を撮影した宮古市職員の方の映像東日本大震災 巨大津波が提供されることとなったのです。

美馬市における文化祭での特別講演とはどのようなものだったのでしょうか。

徳島県美馬市は私の生まれ故郷です。高校までを美馬市で過ごし、大学は大阪でした。その地元徳島の教育委員会から、10月26日に開催する文化祭で特別講演を行ってほしいという依頼があったのです。当日は日帰りで行ってきました。

いつもながら感嘆するのですが、すごいバイタリティですね。

美馬市の多目的体育館「うだつアリーナ」を会場として講演を行ったのですが、会場には少なくとも300名ほどの方が来てくれました。小学校時代のクラスメートも10名以上来てくれましたでしょうか。残念ながら私はパッとクラスメートとの想い出を蘇らせることはできませんでしたが、クラスメートは全員私のことをしっかり憶えていたようです。小学校の頃のマドンナたちと、70年ぶりの再会できたことは嬉しかったですね。

ここでも、この特別講演がきっかけとなり新たな出会いがありました。美馬市文化協会会長の佐藤一夫氏です。氏は徳島県土木部に所属され、吉野川にかかる長大橋の設計を手掛けた方です。一方で8mmカメラ撮影の愛好家でもあるのですが、この出会いをきっかけとして名田橋架設工事記録和傘の里半田そうめんなど数編の作品を提供してもらうこととなりました。8mmカメラで撮影されたものですが、されど8mm。大手の製作会社が製作した作品とはまた異なる視点からじっくり撮影されたもので、非常に貴重な価値があります。

また徳島県教育委員会次長である国見武男先生との出会いもありました。国見先生は中学校長を務めておられましたが、退官後は教育委員会次長を務め、その後ITの活用に取り組んでおられます。文化祭当日は名刺交換するだけだったのですが、その後コンタクトするたびに距離が近くなり、ITのことでは、直ぐに先生に連絡をとって教えてもらいました。科学映像館ここ2年間の活動は、先生のご協力になくてはと言った感じですね。本当に助かっています。

また先生には、美馬市の小中学校におけるDVD普及活動でも大変お世話になっています。

このように2010年にも、活動をきっかけとして様々な出会いがありました。出会いは誰にでも訪れるものだとは思いますが、出会いをきっかけにしてまた相互に活動の世界を広げることができたのは幸運なことだったと言えるかも知れませんね。

2010年にも活動を通じて新たな出会いがあり、またさらに活動の幅が広がっていったということですね。今回も貴重なお話を聞かせて頂きまして、有難うございました。
[PR]
by rijityoo | 2012-11-03 23:32 | 科学映像館物語(18) | Comments(0)
科学映像館物語13~補足.中村麟子氏
前回の物語で宿題になっていた中村麟子氏【なかむら・りんこ】1916~2009について補足してみます。Hatena Diaryによると、中村さんは1916年柳川市のお生まれとあります。

「福岡県柳川市生まれ。日本女子大学国文学部を卒業後、東京文理大学付属教育相談部、少国民文化協会児童心理研究所勤務を経て1944年に日本映画社に入社。教育映画部で「科学映画の父」として知られる太田仁吉らの助手を務める。1951年『しおひがり』を初演出。この年の日映改組に伴い日映科学映画製作所に参加。『せんたく』(1952)『真空の世界』(1953)などの科学映画をはじめ、産業技術映画、文化記録映画を多数演出する。1972年にフリーとなってからは共立映画社、記録映画社などで演出を続ける。2007年まで科学放送授賞選考委員を40年近く務め、2008年には91歳で「科学映画と私 ある女流映画監督の回想」(文芸社)を上梓する。」(Htena Diary)

ここで日映科学映画製作所からの「はえ」に関する資料も付け加えておきましょう。

「日本初の女性監督として一生を綴った中村麟子監督、戦前に生まれ日本の目覚ましい高度経済成長期を生きた監督は日本の科学、教育映画の発展に貢献した。女性が男性に混じり仕事をするという考えがまだあまり浸透していない時代に負けず嫌いの中村監督はそんな考えをもろともせず生き抜いて行く。そんな教育映画の基礎を築いた女性監督である中村麟子監督の世界。

この作品は中村監督と撮影クルーの努力の結晶とも言える作品である、自然の生き物相手にしかも当時の撮影環境ではこの監督の辛抱強さがなければこの作品は存在しなかったかもしれない。

当初この企画の話が出たとき中村監督は「ハエなんて嫌、無理」と嫌な気持ちを表したが、まだカメラが収めたことの無い世界に中村は渋々了承、その生体を解き明かす為に中村監督は自分でハエを飼い、ガラス箱に入れて持ち歩きバスや電車に乗るときも人に見つからないようにして観察し続けその生体を研究した。そして監督と撮影クルーの辛抱と努力の賜物でついに無理と言われていたハエの脱皮の撮影を成功させた。

記録映画史上初めてハエの生態を撮影した中村麟子監督、と撮影クルーの努力と辛抱の賜物、『はえ』をどうぞご覧下さい。」

この作品から、女性ならではの細かさ、辛抱強さ。そしてその作風は、小林米作氏とは違ったもの、綿密に仕組んだ中村麟子の世界を映像化しています。

でも男社会での映画作りには、相当な覚悟と忍耐があったようで、ご紹介する上原隆さんが87歳の中村さんのインタビュー日本で初めての女性監督をご覧ください。
なおこの内容は「雨にぬれて」(幻冬舎)に収録されていますのでご覧ください。

最後に中村麟子氏の主要作品をご紹介します。(我々の配信はこれからです。)

1951:しをひがり
1952:手、せんたく、テレビジョン
1953:時計眞空の世界
1954:はえ、腐敗、たべ物の保存
1955:磁気録音の話、染色の話 こどもは見ている
1956:谷間の学校、すず虫
1957:こどもたちの目、正男君のラジオ
1958:小さな芽ばえ
1959:インダストリアル・デザイン
1960:スランプ—仕事の調子、たのしい音楽教室
1962:アリナミン
1963:美しい素肌づくり、全自動管理エレベータ、日本の結核対策
1965:リボタイド
1966:いの一番、胃腸の働き、ブラザー・ペース・セッター
1967:更生スノータイヤ性能試験の記録
1968:明治の絵画、癌の開創照射治療
1969:文楽、新抗生物質カネンドマイシンの誕生、300トン培養タンク-建設の記録-
1970:脳卒中のリハビリテーション、よみがえる金色堂
1971:地球と世界地図

1972:日本の書
1973:古都 奈良
1975:日本の家族計画
1976:心臓のつくりとはたらき-顕微鏡の使い方-、単細胞生物
1978:パン工場で働く人、薬の正しい知識、心ぞう—人のからだ—
1979:日本の婦人像—男女平等を目指して
1980:ゆうびんのしごとをするひと (脚本)荒川豊蔵
1982:手紙の旅、のりものではたらく人—でんしゃ—
1983:みんなでつくる明るいまち
1984:伝統に生きる工業 出雲和紙
1985:バスではたらく人
1986:五島列島の若者組、ごみのゆくえ—せいそう工場—
1987:さぎ草物語、野菜づくりのさかんな地域-岩井市-
1989:さかなやさん-うちのひとのかいもの-
[PR]
by rijityoo | 2012-10-26 10:06 | 科学映像館物語(18) | Comments(1)
科学映像館物語 13~2010年の出会い 1~
科学映像館物語、第13回は主に2010年前半の出来事と、新たな出会いや発見についてお話を伺います。先生、どうぞ宜しくお願い致します。

2010年の始め、一本の電話がかかってきました。東京文映株式会社の柴田幸治氏からで、「東京文映には貴重な作品がある。ぜひ活用できませんか」というものでした。その後、同社の会社概要や作品一覧などがまとめられた書類が送られてきました。

東京文映株式会社は1965年(昭和40年)、土屋祥吾氏により設立された会社ですが、氏はもともと東映教育映画部と専属契約を結んで活躍しておられました。そして独立して東京文映を立ち上げたのです。神鋼電機株式会社(現:シンフォニアテクノロジー株式会社)や株式会社日立製作所などの大手企業や、独立行政法人理化学研究所などと共に作品を製作しており、振動の世界遺伝子を見るなど優れた作品が生み出されています。

私はその後柴田氏の紹介で土屋社長と会うことになり、その席で科学映像館設立の経緯や、その活動などをお話して活動への理解を求めました。

その後土屋社長と柴田氏は、作品のデジタル化の件で東京光音に2,3の映像を持ち込んだことがあったのですが、その席上に私も参加しており二時間ほど話す機会がありました。そこではじめて日本住血吸虫という作品を紹介されたのです。この作品については後でまたお話しますが、これはつい最近、1990年代まで周辺の住民を苦しめていた山梨県のある地域における風土病を取り上げた作品です。この貴重な作品をはじめ、東京文映には全11作品を提供してもらいました。

東京文映との関係ですが、土屋社長、柴田氏、そして私と三者の思惑が必ずしも一致しないところもあり、以降の作品配信は今のところストップしています。土屋社長は今もご健在で、電話でお話をすると非常に矍鑠としておられ、現在でも活動意欲は旺盛だなと感じることがあります。お会いした当時に既に東京文映は閉鎖されていましたが、貴重な作品はまだ200作品ほど残っているようです。但しそれらは散逸していたり、保管状態も必ずしも万全ではないため、これらもできるだけ早いうちに収集とデジタル化が望まれます。

日映科学映画製作所との出会い

結核の生態真空の世界など、有名な作品を数多く製作している株式会社日映科学映画製作所との出会いについてはどのようなきっかけがあったのでしょうか

日映科学映画製作所は1951年(昭和26年)、石本統吉氏によって設立された映画会社で、こちらも当時の文部省や日本国有鉄道、株式会社日立製作所など官庁、大手企業などを取引先として様々な映画を製作していました。そのなかには昨年の東日本大震災で再生回数が急増した福島の原子力黎明なども含まれています。

実は、前回でも触れた十字屋映画部で活躍していたスタッフが、時代の変化とともに日映科学映画製作所に活躍の場を移したという経緯があり、小林米作氏もこの日映科学映画製作所で活躍していたのです。

この日映科学映画製作所との出会いについては、あるエピソードがあります。一人の先端的なアイデアを持った若者がいました。彼は北米で勉強してきた経歴を持って日映科学映画製作所に入社したということでしたが、そのアイデアは当時非常に先鋭的なものでした。つまり、You Tubeを使って科学映画を配信するというものでした。彼がある日私に電話をしてきてその話を切り出してきたわけです。

しかしこれには難しい部分もありました。著作権などの問題です。いったんYou Tubeに科学映画がアップされれば確かに世界中の人がいつでも気軽に視聴できますが、一方で本来想定している目的以外にも使われる恐れがあります。広い意味での盗作などですね。彼もその問題には気づいており、電話でいろいろ話をしたのを覚えています。この問題は後に、配信される作品中に製作会社名と「科学映像館」の文字をクレジット表記するなどのアイデアに繋がることとなります。

彼の考えは当時の私からみれば理解が難しい部分もありました。後になって、結局彼が日映科学映画製作所を離れたという話を聞きました。ただし私は彼のアイデアが必ずしも間違いだったとは思っていません。当時としてはあまりにも先鋭的で、周囲の理解や協力が得にくかったのかも知れませんね。

日映科学映画製作所からは40作品以上を提供してもらい、現在配信しています。その中には貴重な科学映画である「はえ」などを手掛けた、日本初の女性監督である中村麟子氏が監督や脚本などで参加している作品もいくつかあります。この中村麟子氏についてはまた別の機会に詳しくお話しましょう。

風土伝承館杉浦醫院との出会い

日映科学映画製作所の作品であるよみがえる金色堂は現在HD化されて配信されていますが、実はこのHD化は山梨県の方の支援で行うことができました。これがきっかけとなり、私のブログでも紹介している「風土伝承館杉浦醫院」との交流が始まったのです。

風土伝承館についてもエピソードがあります。ある科学映画を探しているということでしたが、なかなか見つからないという話を聞きました。何か手掛かりはないですかと聞いてみると「パンフレットがある」ということでした。このパンフレットを見ると「日映科学映画製作所」とあった。そこで早速同社に問い合わせてみると、はたして作品を発見することができました。「人類の名のもとに」です。

この風土伝承館と、「日本住血吸虫」、人類の名のもとにの関係についてお話します。最初の方でも少し触れましたが、山梨県のある地域で風土病が長く流行していました。日本住血吸虫症です。「風土伝承館」は、その風土病の原因を突き止め、病気を撲滅するため私財を投じて闘いを挑んだ杉浦健造医師が開いた病院を復元したものです。

この地方病はつい最近、1996年になってようやく終息宣言が出されましたが、長く周辺住民を苦しめていた病気でした。「日本吸血吸虫」、「人類の名のもとに」はこの日本住血吸虫がもたらす病気と、その撲滅に向けた関係者の闘いを記録した作品です。また風土伝承館は「科学映像館を支える会in山梨」として、私たちの活動に協力してくださっています。

2010年にも様々な出会いがあり、新しい活動を始めるきっかけが生まれました。この年に感じた大きな変化としては、活動がこれまでの一方向なものから、作品がいろいろなところから持ち込まれるようになり、また新たな相互交流が生まれるという「双方向」なものになってきた、ということです。次回は新たな活動なども交え、2010年後半を中心にお話したいと思います。

2010年にも様々な出会いがあり、新たな活動や相互交流へのきっかけが生まれたことを非常に興味深く感じました。次回は2010年の後半の出来事を中心にお話を伺えればと思います。先生、どうも有難うございました。
[PR]
by rijityoo | 2012-10-25 18:04 | 科学映像館物語(18) | Comments(0)
科学映像館物語11.~補足
大学時代割合恵まれていましたから、一人での事務管理等は大変なことでした。申請書とか、会計とか、特に会計管理は生まれて始めとのことです。また運営費は会員、個人のご寄附、企業のばな広告、協賛金によってまかなってきましたが、このお願いも大変な仕事でした。

その中でも、ここ4年間、毎週映画を配信し続けている。これは結構大変な作業です。デジタル化、エンコードと掲載用の資料を毎週間に合わせることは本当にきつい。最近では、収集映画にも余裕がありますが、以前は何回か綱渡りの作業を行ったこともありました。

でも正月も、夏休みも、毎週欠かさず配信してきました。ウェブサイトの貼り付けは、外注ですから、業者の休みも調整もありました。いわば週刊木曜日で、定期的に発刊してきたわけです。

そういった一般の作業以外に、広報も大切ですから、新聞記事以外の依頼講演にも出かけました。遠くは四国そして神戸まで。そのなかで、2008年初夏には、岩波書店から原稿の依頼がきました。「シリーズ日本のドキュメンタリー」編著佐藤忠男氏です。この本は全5巻とDVDボックスから成るもので、2年が掛かりの中々の企画でした。

第1巻:ドキュメンタリーの魅力、第2巻:政治・社会編 第3巻:生活、文化編、第4巻:産業・科学編、第5巻:資料編からなる企画。その第4巻に当法人の副理事長岡田一男氏とともに書かしていただきました。

私に与えられたのは「小林米作氏の科学映画から骨の研究へ」と「NPO法人科学映像館設立への想い~映像遺産を守り、楽しみ、生かすために」でした。大学時代には想像しがたい、異分野の世界ですが、我々の活動を一人でも多くの方に知ってもらいたいとの懸命の仕事でした。
[PR]
by rijityoo | 2012-10-24 13:34 | 科学映像館物語(18) | Comments(0)
科学映像館物語 11~小林米作氏、初期の貴重な作品が見つかる~
「科学映像館物語」、第11回は2008年以降のお話を中心に伺いたいと思います。先生、今回もどうぞ宜しくお願い致します。

2008年4月、埼玉県ふじみ野市にあった事務所から自宅に活動拠点を移しました。ふじみ野の事務所にはスタッフもおり事務作業などをすべて任せていましたが、自宅に移転してからは事務作業もすべて一人で行うこととなり、大変でした。PCの設置や設定など、最初の頃は業者に来てもらったり、近隣の人に手伝ってもらってなんとかやっていました。

NPO法人の設立と運営にあたって、財源の確保が大きな問題であることは前回でもお話しましたが、この頃「埼玉県文化振興基金」による助成事業に応募し、二年連続で採択されました。この申請書式も自分で作成しましたが、ヒアリングのため埼玉県庁に出向く必要もあり本当に大変でした。配信作品の一部はこの助成金によるもので、作品紹介でも明記しています。

その後も週一回のペースで作品の配信を継続しました。68の車輪以降、再生回数は月間1万回ペースに上昇して、大体そのくらいの数字で推移していました。
b0115553_7304513.jpg


そのように作品配信を続けていた2009年の4月、一本の電話がかかってきました。学習研究社(現:株式会社学研ホールディングス)デジタルコンテンツ事業部で演出を担当していた小川博孝氏からで、「銀座十字屋が1930代後半に制作した作品を持っています」という内容でした。早速アポイントを取り、その夜,最寄りの駅で小川氏と会うことにしました。

ここで十字屋について少しお話しましょう。十字屋はもともと書店として明治のはじめに創業された会社で、その後楽器も扱うようになりました。1920年代半ばには9.5mmのカメラや映写機などの取り扱いも始め、さらに1934年からは教育映画も制作するようになりました。有名な「理科映画大系」です。この十字屋映画部には当時カメラマンとして小林米作氏も参加していたのです。

小川氏と会って話をするなかで、氏がその十字屋の「理科教育大系」のうち地蜂とんぼの話さくらの話など5作品を保有しているということを聞き、作品のDVDを預かることとなりました。非常に貴重な作品でしたが、氏はほかにも戦後学習研究社で制作された教育映画、「カニの誕生」カニの誕生カブトムシの研究モンシロチョウなど13作品についても、捨てずに保管していたということでした。

長野県で育った小林米作氏は地蜂をよく知っており、題材にしてこの作品を制作したのではと思われる。地蜂に関する資料はこちらまた「さくらの話」では、花が咲く模様を微速度撮影で追っていますね。

もし小川氏が保存されていなかったら、これらの作品は日の目を見ることはなかったかもしれません。後日小川氏を介して銀座十字屋にDVDをお届けしたのですが、十字屋もこれらの映画を持っておられなかったので、大変喜んでいたとのことです。

この小川氏との話を、別の機会に朝日新聞編集委員の辻篤子氏にメールで伝えたところ「それはすごいこと」と、同社科学部の米山正寛氏を紹介してもらいました。氏は2008年5月末頃に私の自宅事務所を取材に訪れたのですが、この話題を単に小さい記事としてではなく本格的に取り上げたいとのことで東京シネマ岡田一男氏やヨネプロダクションの大沼鐵郎氏にも取材を行ったようです。その結果できあがったのが2009年9月25日付朝日新聞朝刊科学欄に掲載された,「科学映画を守って活かして」という記事でした。

この記事の効果は非常に大きなもので、これまで月間約1万回前半で推移していた再生回数が、倍以上の月間2万4,000回程度にまで上昇しました。おかげさまで再生回数はその後2010年に至るまで2万回弱で推移しています。この記事による紹介は、科学映像館にとって大きな転機となりました。

新聞の効果は本当に大きなものがありますね。

そうですね。この記事のおかげで、科学映像館の社会的な評価は一段とたかまりました。

科学映像館と縁の深い小林米作氏ですが、私は前述の小川氏の縁で、十字屋の科学映画を通じて小林米作氏と再会することができました。当時の十字屋映画部には他にも太田人吉氏、鈴木喜代治氏など錚々たる顔ぶれが揃っていました。小林米作氏は十字屋映画部でカメラマンとして活躍した後、1941年12月に勃発した太平洋戦争の従軍カメラマンとしてインドネシアのジャカルタに渡ることとなります。

学習研究社も1990年代まで教育映画を制作していたようですが、やはり時代の変化なのでしょう。現在では教育映画を手掛けておらず、学習研究社も経営の主軸は学習塾の運営に移っているようです。新しい科学映画がなかなか生まれない現在だからこそ、理科教育、科学教育においてこの科学映像館が果たすべき役割も一層大きなものとなっていると言えるかも知れませんね。

助成金の申請など事務作業にも忙殺されながら、毎週継続して科学映画を配信されていたこと、そして科学映像館設立のきっかけとも言える小林米作氏の活動初期の作品を通じて、再会を果たすことができたのがとても印象的に感じました。次回もまたぜひ貴重なお話を聞かせて頂ければと思います。先生、どうも有難うございました
[PR]
by rijityoo | 2012-10-21 22:22 | 科学映像館物語(18) | Comments(0)
科学映像館物語9~補足
TV番組制作者は、科学映像館の配信映画を検索し、目的の映像を探すようです。配信映画の使用権は制作会社にありますから、制作番組の概要を伺い、制作会社に転送しています。1週間に3,4回問い合わせが飛び込んで来ることもあります。配信映画を多くの人に見てもらおうと始めたことから、これも科学映像館の大切な仕事でしょう。

昨年の3月から5月は忙しい日々でした。例の「福島の原子力」の映画です。多い日は2,3回問い合わせと対応に追われました。報道番組ですから、2,3日前に電話が入るのはいい方でした。番組の概要をメールしてもらい、制作会社に転送と返事の日々でした。ウィークデイはDVDを東京光音に、週末は川越までバイク宅急便が来ましたね。

この3か月間、日映科学映画製作所の英断で、映像を無料提供しました。その代り、映像の出所を明確してもらうようお願いしました。時により番組HPで紹介してもらったり、Twitterでのつぶやきもありました。お蔭で制作会社も科学映像館も広がりました。TV番組の制作費も、以前に比べれば少ないようですから、制作者も映像の利用方法を柔軟に考えるべきでしょうか。
[PR]
by rijityoo | 2012-10-16 17:10 | 科学映像館物語(18) | Comments(0)
科学映像館物語 9~より多くの人に知ってもらうために~
科学映像館物語、第9回は科学映像館の活動と、配信映画をより多くの方に知っていただくための様々な広報活動についてお話を伺います。先生、どうぞ宜しくお願いします。

4月1日に科学映像館を設立し、5月1日に映像配信を開始したことは前回までにお話しましたが、価値ある科学映画をデジタル化して配信するという役割を担うこの科学映像館も、その存在を一人でも多くの人に知ってもらい、そして実際に科学映画を観てもらわなければ意味がありません。そこで私は科学映像館を知ってもらう「広報」に対する取り組みにも大きな力を注いできました。

具体的にどのような取り組みをされているか教えていただけますか。

科学映像館ウェブサイトの情報整理とともに始めたのはブログです。現在は久米さんの科学映像便りと題したブログでほぼ毎日、科学映像館の活動をはじめ様々な記事を掲載しています。ブログは科学映像館ウェブサイトのトップページにもリンクがあり、そちらを辿ってアクセスする人が全体の4割ほどでしょうか。5年ほど前にブログを開始して以来、更新回数は3,300回以上になっています。

その内容は?

科学映像館ウェブサイトも定期的に情報更新していますが、ある程度フォーマルな情報に限定されるため埋もれてしまう情報も沢山あります。私のブログでは、新着情報、配信映画の案内、配信予定の作品、再生回数などのほか、協力してくださる方との出会いや交流、作品を観た人から寄せられた感想など、ウェブサイトでは取り上げられなかった情報を「落ち穂拾い」のようなかたちで取り上げています。

勿論私のブログだけでなく、他の多くのブログでも科学映像館の活動や配信作品を取り上げてもらっています。私が把握しているだけでも200~300を超えるブログで紹介してもらっているようです。とりわけSightsongには配信映画や周辺情報を含め、これまで20回以上にわたって大変仔細に紹介してもらっており、科学映像館の知名度向上に大きく貢献してもらっています。

ほかにもTwitterやFacebookなどのSNSも活用しています。Twitterでは、アカウントを2個(ひとつは科学映像館、もうひとつは193456) 取得し、ブログとは違った情報も発信しています。それ以外にもBCCで送信するメールで多くの人に告知を行うなど、SNSやメールも駆使して情報発信しています。

Twitterで、多くの方がNPO法人科学映像館を取り上げたくれており、が20数万回つぶやかれています。また各作品も100回以上つぶやかれた作品もあります。特に「福島の原子力」は個のつぶやきから脚光をあびましたね。

TwitterやFacebookもやられているは驚きました。

一方でやはり新聞や雑誌、TVなどのマスメディアで紹介してもらう効果は非常に大きなものがあります。新聞を活用した情報発信では、受身になるのではなくこちらから主体的に情報発信しており、これまでに全国紙では朝日新聞科学欄をはじめとしてAsahi.com. ウオルトストリート電子版、読売新聞、日本経済新聞など、地方紙では信濃毎日新聞、沖縄タイムス、徳島新聞など、合わせて30回以上にわたって取り上げてもらっています。また例えば長野県に所縁のある作品は信濃毎日新聞で取り上げてもらったり、沖縄に関連のある作品は沖縄タイムスで取り上げてもらうなど、その地域に関連した作品の情報を提供しています。

科学映像館を設立した当初は、新聞などのマスメディアで取り上げてもらうたびにアクセスが一挙に5倍、10倍と増えていましたが、最近はおかげさまで既にある程度知名度も上がり常に多くのアクセスがあるため、メディアなどで紹介されても以前ほど急激なアクセス増とはならなくなりました。

TVに関しては、テレビ局や制作会社から科学映画の映像使用許可依頼が頻繁に寄せられます。こちらについては私たちに許可の権限はなく映画の版権を所有している企業に紹介していますが、放映する際は映像中に「科学映像館」のクレジットを付すようにお願いしており、これを通じて科学映像館を知ってもらうための取り組みを行っています。

昨年には東日本大震災が発生し、福島の原子力発電所も大きな被害を受けました。その際にもテレビ局から原子力関連で多くの映像使用依頼がありましたが、黎明―福島原子力発電所建設記録 調査編ー福島の原子力については日映科学映画製作所の英断で、無償で映像を提供していただきました。原子力発電所の事故は不幸な出来事でもあり、東電企画でプロパンガンダ映画でもあることから、一時配信をやめようかとも思いました。しかし負の遺産も貴重であるとの多くの方の後押しがあり、配信続けています。

ウェブやSNSベースだけでなく、紙媒体でも情報発信を行っています。これまでに20種類ほどパンフレットを制作しており、自治体、教育機関などに配布して施設ロビーなどに置いてもらっています。また、日本国内だけでなく外国メディアも科学映像館の活動に注目しています。これまでにアメリカ、イギリス(BBC放送)、フランス、ドイツから取材や問い合わせがありました。

大きなものでは興業収入数十億円にも上る商業映画に比べれば、記録映画、科学映画は確かに地味なものです。だからといって広く伝える価値がないということでは決してない。様々な手段を駆使して科学映像館の活動や、配信映画を広く積極的に伝えていく必要があります。科学映像館の知名度が高まり作品を一人でも多くの方に観てもらえれば、それを観た人たちが様々なかたちで刺激をうけ、また新たな科学や芸術の営みに反映されていくという良い循環が生まれるものと確信しています。

科学映像館を設立されてからも、マスメディアやSNSなど様々な媒体を駆使して活動や作品の存在を広く伝える取り組みをされていること、そして実際に大きなアクセス増に繋がっていることがよく理解できました。先生、今回も貴重なお話を聞かせていただき有難うございました。
[PR]
by rijityoo | 2012-10-11 18:54 | 科学映像館物語(18) | Comments(0)