2010年 01月 19日
[昔の水澤映画]5日間で1,129回再生
宮沢賢治もたびたびこの観測所をおとづれている。
「新式の観測には特に強い関心を持っていたと想像される。このことは、作品「風の又三郎」の初期形である「風野又三郎」に見ることができる。
次のようにある。「・・・そのとき僕は海をぐんぐんわたって・・・丁度五日目にこゝも通ったよ。その前の日はあの水沢の臨時緯度観測所も通った。あすこは僕たちの日本では東京の次に通りたがる所なんだよ。なぜってあすこを通るとレコードでも何でもみな外国の方まで知れるやうになることがあるからなんだ。・・・」当時はまだ岩手に測候所がなかったが、風が水沢を通るとそれが記録され、外国の方まで報告される。」賢治は緯度観測の様子を知ってそう述べようとする。http://n398z.com/gaiyo.htmlで緯度観測所名誉教授・現奥州宇宙遊学館館長の大江氏は述べている。