2010年 03月 31日
明日は中村氏の「はえ」を配信予定
中村監督について[映蔵」で以下の様に紹介されている。
「日本初の女性監督として一生を綴った中村麟子監督、戦前に生まれ日本の目覚ましい高度経済成長期を生きた監督は日本の科学、教育映画の発展に貢献した。女性が男性に混じり仕事をするという考えがまだあまり浸透していない時代に、負けず嫌いの中村監督はそんな考えをもろともせず生き抜いた。そんな教育映画の基礎を築いた女性監督である中村麟子監督の世界。
中村麟子監督は戦前、大学で学んだ児童心理学がきっかけとなり映画製作の世界へと進んでいく。戦争中であったために戦地へと繰り出した男達の代わりに編集を担当し下働きの経験を積んだ。時代は今とは比べ物にならないほど仕事場での女性差別は明らかだったのにも関わらず、監督には差別を悲観する態度はなく、それを当たり前として受け入れる強さがあった。下働きをしていた時も監督として上に立っていた時も異性からの差別は変わらなかった。しかし中村麟子監督はプロとしての意識、自分のプライドを大切に、仕事をこなしてゆく。
そしてシナリオの募集で応募したのをきっかけに彼女は日本の教育映画界に認められて行く
もともと勉強熱心で教育に関心があったためで彼女の教育映画作りと研究に対する情熱は誰よりも熱かった。そして『せんたく(洗濯)』や『真空の世界』、『よみがえる金色堂』など、受賞したその数は20を超える。日本の教育映画作りの先駆けとなったのである。」
昨年2月28日94歳で他界される。第一世代の関係者は他界または第一線を退かれている。その貴重な映画の整理が急がれる。