2011年 03月 12日
8mmシネフィルムのDVD化にあたって
生命が甦ることに「蘇生」と言う言葉がある。蘇生とは一旦生命を終えたものが、新しい息吹を得て復活し、前にも増して鮮かな生命力を発揮するものである。私は、このたび、この「蘇生」を、身をもって体験する幸運に恵まれた。
私の8mm映画歴は古い。戦後間もない昭和24~25年頃、アメリカ製のリビア・エイト(1940年製)の8mmカメラを手にした時から始まる。しかし撮り溜めた映像フィルムの数々は、新しいシステムの陰で、滅びゆく運命となった。映像機器の老朽化、修理部品の断絶と、遂にこれらのフィルムは日の目を見ることはなかった。
ここに思わぬ幸運が訪れた。「NPO法人科学映像館を支える会」久米川先生のご紹介による東京光音との出会いである。40~50年前、私が手塩にかけた8mmフィルムは東京光音の途轍もない素晴らしい技術によって完全にその生命を甦らせたのである。しかも、その生命は以前にも増して魅力あるものとなった。
説明するまでもなく、8mm映画は、そのフィルムに1秒間16~18駒の映像が映しこまれている。これが15~20分の映画となると、1万5千~2万5千駒に及ぶ膨大な映像の処理となる。手作業だから、頭の痛くなる話である。フォーマットと効率化の今日、こんな無茶・苦茶な話は滅多にあるものではない。本当に大変な作業と思う。なおこの映画の修復には5カ月を要したと聞く。こんな作業に立ち向かわれる東京光音の技術者諸兄に頭の下がる思いである。
私は技術者の一人として、技術に対する誇りと矜持を持っているが、この映像蘇生に取り組まれる技術者の方々、その技術の高さとご苦労、そして彼らの情熱に改めて敬意と感謝の意を表したいと思う。
本当にありがとう。
追伸
佐藤一夫氏は徳島県県庁土木部時代、日本で最初の長大橋(800m)、「名田橋」の設計・施工を担当される。その4年半にわたる架設工事を、ご自身が8mmを回して撮影・編集されたのが、「名田橋架設工事記録」である。科学映像館で配信しているが、3カ月で4千回近く、再生される秀作である。