2011年 06月 28日
広島大学名誉教授の菅野先生からメールが・・・
「前にも申し上げたかとの思いますが、戦時中か戦後直後か少し記憶が怪しくなって
来ていますが、岩手県の三陸海岸の小都市は木造船の生産地でした。
旧制高校の友人の一人が一時、宮古に両親と伴に住んでいて、小生は宮城県古川
(現大崎市)に、ほんの一時、祖母を連れて疎開していた両親のところに滞在しました。
宮古に友人を訪ねて行き、当時の山田線の蒸気機関車の運転席に乗り込み、宮古に
行きました。宮古に着いて友人宅を訪ねたら、先ずはその真っ黒な顔を洗っていらっしゃい
と友人の母上に言われました。山田線には沢山のトンネルがあり、当時の機関車に乗って
いれば、真っ黒になって当然です。
まあ生活力旺盛な10代の中学生でした。東京には闇以外食糧がありませんでしたが、
地方には何とか食べるものはあった時代でした。懐かしい宮古です。」
この映画にもそれぞれの想いが。