2011年 07月 02日
甲斐絹について
かつて郡内地方で盛んだった絹織物。 「かいきぬ」ともいう。
近世(江戸時代)の初めオランダ人によって、更紗(さらさ)などとともに東南アジアより渡来した生糸を練ってから織る「先練り(さきねり)」の絹織物の一つだった。 海気、海黄、改機とも記された。
寛文(かんぶん)年間(1661~73)(江戸時代前期)に甲斐国の郡内の織工が模したことにより、郡内海気あるいは単に郡内と呼ばれ、ふとん地に用いられた。
甲斐絹の字は、明治時代以後の殖産興業の結果として、1897(明治30)年頃から使用されるようになった。
滑らかで滑りがよく、光沢があり、摩擦すると絹鳴りが生じ、ひんやりとする感覚があるという特徴がある。
第二次世界大戦前には、主として着物の上に着る羽織(はおり)の裏地が生産され、海外では婦人ドレス地に使用された。
終戦の直前には、軍需用としての落下傘用の生地(きじ)の生産に転向したために生産は減少した。
現在、わずかに生産されている。