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再生回数の推移から4年半を振り返る(その3)

「大正末期の水澤 9.5mm映画]

水澤と言えば現在の奥州市,後藤新平、斎藤実、原敬、椎名実氏などの出身地。問題の人、小沢一郎さんも水澤。岩手県は鈴木善幸総理大臣も含め4人で第3位と意外な感じ。赤痢菌発見者志賀潔氏もここの出身である。

この映画が製作された時期不明のため、地元の方、奥州市観光協会、水澤教育委員会などからの資料を得た内容である。

映画はジープを使った大掛かりな活動撮影隊により本格的な製作。同様の映画は後藤新平記念館にも所蔵されているらしい(記念館関係者)。相当初期の映画で、地元の大金持ちが映画制作に取り組んだものと思われる。

駒形神社の撮影。次いで日高火防祭。水澤は大火に見舞われ、佐々木佐五平を東京に送り、消防隊を結成(1775年前後)。ここから、日高火防祭が始まる。300年前からの祭りで。京都の祇園祭りの小型版、有名らしい。映像はこの祭りを詳細に。

画面は一変、緯度観測所の様子を詳細に映像化、台湾地震の記録が見られる(大正11年)。これらの施設は国立天文台へと。

当時相当栄えた町であることが想像される。人力車が走り、自動車も1台見かける。三陸銀行など3銀行の看板が見られる。①三陸銀行:大正10年に水沢貯蓄銀行から改称(名称変更)した銀行である。その後、昭和4年に岩手銀行に合併されたので、大正10年~昭和4年の間の映像であること。②水沢銀行:昭和2年に岩手銀行に合併。③盛岡銀行水沢支店:昭和6年に廃業。映像は少なくとも昭和2年以前の映像(銀行に関する情報は(http://www.ougonrail.com/)副管理者武蔵さんから)。

水沢銀行内で1万円の定期預金の証書が(大正11年)撮影されているので、大正11年に撮影されたと推定される。当時の1万円は想像しがたい金額、いとも簡単に定期預金に(現在の1億円相当とのこと)。銀行入り口の看板には勧業債券の売り出しが、1903年には日本銀行から発行されているようである。
by rijityoo | 2011-11-03 16:58 | 活動の蔵(1、208) | Comments(0)