2012年 03月 17日
午後森芳久先生室予定
常に数人が入れ替わり、立ち代り研究室に顔を見せていた。学外の臨床科の先生は夜遅くから明け方まで研究室に、まさに参勤交代の勤務も、まま見られた。夜の帝王のニックネーム、今は県内の病院で、副病院長として活躍。企業の取締役、部長などの管理職、大学の教授、准教授も多数おり、頼もしい限り。
数十人とともにしたが、大学では東大第三内科、整形、慶応整形、京都大学、徳島大学歯学部、広島大学歯学部、慈恵医大小児科、埼玉医大整形、聖マリアンヌ医科大学、長崎大学内科、日本歯科大学、愛知医科大学歯学部、新潟大学歯学部、岩手医科大学歯学部から中長期の留学。学位を取得後海外へ留学した先生が10人程度も。
企業からも多数の研究者が参加。20社を越え、2,3か月から3,4年の研究生活。武田、ヘキスト、山之内、
チバガイギー、塩野義、雪印、呉羽、帝人、大正製薬、持田、サントリーなどなど。また企業は人材の派遣でだけでなく、共同研究と多額の研究費を。活発で、明るく、楽しい良き時代であった。
大学には外国人研究者者長期招聘制度があり、10年間に10人近くの研究者が来室、研究の発展と研究室の国際化にも多いに役立つ。日本経済の良き時代であり、良き時代に大学に席をおいたものである。
この間に科学映画の父、小林米作さんとの骨の科学映画3部作を製作、骨の研究でも少しは若者とともに世界に発信できる成果を得ることが出来た。2002年退職後、これらをもとに、骨の健康の啓発活動、骨の健康づくり委員会と現在のNPO法人科学映像館活動に繋がっており、少しでも社会に還元できればと頑張っている。