2012年 07月 25日
カテプシンK物語~当時の研究室~
これは大学の長期招聘研究制度を活用して招くことができたものです。往復の旅費のほか、1日あたり一万円が支給されると言った素晴らしいものでした。教室の国際化が進むともに様々な情報交換の場にもなり、大変有益なものでした。今考えると夢のような時代でした。
細胞採取の日には自然にカップルができ、3,4時間も懸命に作業をしてくれました。時には外部の見学者に手伝ってもらったこともありました。また毎週木曜日の勉強会には外部からも参加者を受け入れ、大宮、川越の研究所からも参加者がありました。お互いに情報交換する良い機会となりました。

川越にあったヘキストの連中と軽井沢で研修会
我々の大学のキャンパスは「埼玉のチベット」と言われ、都心から約2時間を要する辺鄙な場所に位置しています。参加してくれた企業や他大学の研究者にとっては寂しい思いをさせ、苦労をかけたと思います。

1996年のメンバー
しかしこういった場所故のこともあったのかもしれません。限られた空間である培養室内の研究生活。カップルが生まれやすい環境でもありました。ここで何組かのカップルも誕生したのです。
また研究生活が終って学位を取得したのち、多くの研究者が海外に飛び立っていきました。その数は10数名であったと思います。その中から10名以上の教授、准教授が誕生しました。いまでも米国で活躍されている人もいます。
3時になるとティーパーティが毎日のように開かれました。しかもお茶だけでなく、いただいた美味しいスイーツとともに。余談ですが先日、埼玉医科大学川越クリニックの森先生を訪ねた折こう言われました(彼は東大大学院生で我々とともに研究を行う)。
「先生、あの時のツケが今の体重に……」。