2012年 07月 26日
カテプシンK物語~クローニングへ
2,3日研究室の整備をしたのち、本格的な活動を始めました。と言っても小さい、清潔な部屋を準備しておいた程度です。当時チバガイギー社(現:ノバルティス社)から派遣されていた女性研究員が彼の仕事ぶりを見て驚いたことがあります。のちに彼女は彼を「師匠」と呼んでいました。彼の部屋の整理整頓ぶりと清潔さに驚き、そして惚れ込み師匠と呼ぶようになったわけです。
分子生物学的な仕事は、当時はまだ現在のようにすべてがシステマティックに機能していたわけではなく、手仕事の部分も多くて大変でした。彼の几帳面さが成功の一因となったのかも知れません。彼が持つ性格の面白い一面を発見しました。とにかく計画的に物事を処理していたのです。
一方で「今できることは今すぐ処理する」人でもありました。私が「礼状を書いておいた方がいいよね」と彼に言えば、その2,3時間後にはもう私に礼状を見せてくれました。また、なにか原稿の締め切りが1カ月後に控えているとすれば、締め切りの1週間前には必ず原稿を完了させていました。彼が在籍していた3年間で私が催促したことは全くありませんでした。彼に或る時そのことについて訊ねてみると、「忘れっぽいんです」という返事が返ってきました。
もうひとつ、「あなたは仕事中に30%くらいしかアクセルを踏んでいないのではないか」という質問をしたときにも「そうかも知れません」と返ってきました。持って生まれたもの、とはこういうことを指すのでしょう。
彼が留学から帰国後、日本の大学に就職する際に私が書いた推薦状に「私は彼に催促したことがない」と書き添えたものです。