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久米さんの科学映像便り
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プロフィール
科学映像館理事長の久米さん。映像遺産を守り、生かすための日々!
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「科学映像館物語」1.小林米作氏との出会い
「情報管理」9月号では、散逸し死蔵化しているアナログフィルムの科学映像をデジタル化してアーカイブしている「科学映像館」の取り組みとその意義、そして展望について話されています「科学映画を守る 記録映画の保存と活用」。今回の「科学映像館」物語では、そこでは十分に語られなかった先生と科学映画との出会い、また科学映画を語る上で欠かすことのできない科学映画の第一人者である小林米作氏との関わりなど、科学映像館の「舞台裏」でのエピソードなどを中心にお話しくださるとのことで、是非いろいろなお話を聞かせていただければと思います。先生、どうぞよろしくお願いします。 (聞き手:赤塚 紀彦)

赤塚 紀彦
プロフィール:
埼玉県川越市在住。兼業で翻訳をしたり文章を書いたりしています。
文系ですが子供の頃は模型少年、ラジコン少年で、機械や科学に興味があります。
一般人の視点で科学をわかりやすく伝えるお手伝いができればと思っています。


先日発行された「情報管理」9月号では、科学映像館の設立の経緯や、科学映像館が何故大切であるかといった点について概説的なお話をしましたが、誌面の性格やページ数の問題から、必ずしも十分に語ることができなかった部分もありました。

そこで今回は「科学映像館物語」として、科学映像館が出来るまでに至った経緯や当時のエピソードなどに焦点を合わせて、私と科学映像との出会いについてお話してみたいと思います。

物語は1979年、東京・銀座の一流レストラン「三笠会館」で味わったフランス料理のフルコースから始まります。その席には当時77歳の、すでに科学映画で世界的な評価を得ていた小林米作氏、そして留学先のテキサス大学歯学部から戻っていた47歳の私がいました。

フルコースを味わった後で、氏が本題を切り出してきました。骨をテーマにした映画の制作についてでした。

1979年当時すでに骨粗鬆症が問題となっていましたが、その治療薬である活性型ビタミンD3製剤を開発した帝人株式会社(現:帝人ファーマ株式会社)がその発売記念に、骨に関する映画の制作を企画していました。テキサス大学歯学部に留学していた私は、帰国する際にGeorge G. Rose博士が開発したユニークな還流培養装置を持ち帰っていたのですが、その器具で骨を培養すれば骨の生きた営みを映像に収めることができるのではと小林氏は考え、装置を持っていた私に白羽の矢が立ったというわけです。このユニークな培養器具は科学映画の撮影にも好都合である、ということだったのでしょうね。b0115553_22355642.jpg企業側は当然、イメージアップや収益にダイレクトに影響するコマーシャル映画を望んでいました。しかし小林氏は、純粋な科学映画の制作をしたいと譲りませんでした。

当時住んでいた埼玉坂戸の片田舎から銀座に出て、一流レストランでフルコースを味わった後で、小林氏が私に語った熱い思いに感じるものがあった(フルコースに心を動かされたということではありませんよ!)私は、坂戸の大学に戻ってさっそく文献を調べました。しかしin vitroで骨を形成した事例などはなく、「これは大変なことを引き受けてしまったぞ」と思ったものです。そうこうするうちに小林氏率いる「小林軍団」とでも言うべき撮影クルーの一団が、トラック一杯に撮影機材を積んで大学にやってきました。1979年11月初旬のことでした。

小林氏と撮影クルー、そして私は早速撮影に入ったのですが、なかなか映像に収めることができません。骨が形成されるという所見、兆候が現れないのです。結局その年は1カットも撮影できないまま、年を越しました。年が明けて3月、4月になっても、やはり1カットも撮影できないまま時間だけが過ぎていきます。私も心配で、夜眠れないような日もありました。

この映画の制作にあたって最初は新生児マウスの頭骨を用いていましたが、なかなか骨が生成できないため胎児の骨に切り替えました。そこでようやく骨の生成を映像に収めることができました。カメラがやっと回り出したのです。映画制作の構想からすでに数か月が経過していました。

ところで映画はご存知のように動きのあるものです。しかし科学映画は、動きがゆっくりとしたもの(花の成長の様子など)を映像に収めるわけですから、独自の撮影方法が必要となります。そのひとつが「微速度撮影」です。当時はもちろんデジタルカメラではなくアナログフィルム。それも贅沢な35mmカラーネガフィルムです。

小林氏はそのフィルムを躊躇なく使って撮影するのですが、彼は単に映像を撮るのではなく、構図に非常に気を使ったり、映像を綺麗に撮るといったことに非常に強いこだわりを持っているんですね。小林さんは若い時、音楽家をめざしていましたので、もともと芸術的なセンスを持っていたわけです。

さて骨の生成の様子を映像に収めることに成功した私たちは、7月に撮影を終了しました。およそ1年がかりの仕事となりました。ここで撮影された「骨芽細胞が骨を形成し、破骨細胞が骨を壊す」という様子は世界で初めて映像に収めることに成功し、折茂肇、井上哲郎、遠藤浩良先生のご指導を得て映画は完成しました。

その映画がThe Boneです。

この作品には当時でおよそ数千万円もの大金が投じられました。35mmフィルムをたっぷりと使って撮影するのですが、最終的に映像に使用されたのは撮影した映像のうち10%程度でした。それだけ映像を厳選したということでしょう。

企業側は製品や企業の宣伝にダイレクトにつながるコマーシャル映画を期待していたこともあって、正直なところ、あまりいい顔はされませんでした。

ところが学界では、この映画はたいへんな好評をもって迎えられました。イタリアでのビタミンDワークショップの後、英国のシェフィールドでこの作品をさる学界の大御所に見せたところ「お前は残って、明後日この映画を学会でプレゼンしろ」と、だいぶ口説かれました。b0115553_23354287.jpg米国骨代謝学会で上映、会場からあふれた会員。3回のアンコール。

残念ながら帰国後の予定が決まっていた私は映画作品のみを残してきたのですが、これ以降、骨に関する世界中の権威から手紙などが舞い込んできました。また間接的ではありますが、結果として企業の評価にもつながることとなりました。この映画の製作は我々の研究生活のターニングポイントになったとも言えます。その成果はカテプシンK物語をご覧ください。

学界に好評をもって迎えられた「The Bone」の続編としてThe BoneII Osteocyteを15年間かけて製作しました。

世界ではじめて骨の生成の様子が映像に収められた。その映画が海外の学界でたいへんな好評をもって迎えられたということですね。映像は言葉を超える力を持っているということかも知れませんね。小林米作氏の映像作品、そして氏の映画作りについて、先生はどのような印象をお持ちですか。

小林氏の映画の特質は、「未知の世界に映像という武器をもって切り込み、明らかにしていく」ということです。これが彼のやり方で、撮影時絵コンテも脚本ありません。生の素材に手を加えることなく、一途に追いかけ続ける。「記録映画の主役は対象の人であり、動物や細胞などが主役であり、彼らに自由に振る舞わせることだ」と小林さん言っていました。

素材としての映像を提供する。あとは映画を観た人が、それぞれの感性で受け止めて、それぞれに発想を膨らませていけばよい、といった考えですね。これが彼の映像に対する姿勢でした。ただし音楽やナレーションが必要なところでは、しっかり活用します。実際に彼の映画には武満徹氏、一柳慧氏、山本直純氏や「ジェットストリーム」で有名な城達也氏など、錚々たる顔ぶれが登場しています。彼の科学映画は、総合芸術でした。

小林氏が1963年、東京シネマの岡田桑三氏らと製作した生命誕生は、ベネチュア記録映画祭最高科学映画賞、モスクワ大会名誉賞、パドヴァ大学科学教育映画大会グランプリなど多くの賞を受賞しています。このニュースは当時、戦後の湯川秀樹博士のノーベル賞受賞のニュースや、水泳の全米選手権で大活躍した古橋 廣之進のニュースと同じように大きく報道されました。

最後にこぼれ話を。1979年、私がはじめて会ったときに小林氏はすでに77歳(私は現在77歳)でしたが、撮影では大学に何日も泊まり込む、たいへんなバイタリティの持ち主でした。あるとき彼にそのバイタリティの秘訣を訊いたら「僕は夜ジョギングをしているんだ」と言うんですね。当時はまだジョギングをする人はそんなに多くなかったのですが、ひとつ私もやってみようと思って夜土手を走るようにしました。

ジョギングを始めて10日ほどたった夜、川の土手で綱に足を引っ掛けてしまって右肘を骨折してしまいました。骨の研究と出会い、骨の科学映画制作と出会った私は、骨折とも出会ってしまったというわけです。

とても貴重なお話を聞かせていただきました。小林米作氏と出会って骨の科学映画を制作されたこのときの思いが、後に続く科学映画の監修や学術指導へとつながり、さらには様々な分野の科学映画を収集してデジタル化し配信する、現在の「科学映像館」へとつながっているのですね。次回もいろいろ貴重なお話を聞かせていただければと思います。有難うございました
by rijityoo | 2012-09-16 22:13 | 科学映像館物語(18) | Comments(0)