2012年 09月 22日
科学映像館物語 2「科学映像館」設立に向けて~きっかけとなった三つの出会い~
前回は私と科学映画との出会い、そして科学映画の第一人者である小林米作氏との出会いから科学映画の制作にまつわる話を中心にお話ししました。今回はそれらの科学映画をデジタル映像に保管して動画として広く配信していこうという思いに至った三つの出会いを中心にお話ししたいと思います。
科学映画の制作に立ち会ってから、これらの映画を保存して後世にも伝えていこうという思いは漠然と持ってはいましたが、具体的な行動に移るまでには至りませんでした。
ちょうどその頃パソコンやインターネットが家庭にも普及してきて、データ通信もISDNからより大容量のデータ送受信が可能となるADSLや光回線が登場するなどして、家庭でも動画が手軽に視聴できる環境が整ってきました。そのなかで「ストリーミング」という新しい動画配信技術も用いられるようになってきたのです。
動画配信は今でこそ「You Tube」など国内外の動画サイトを通じて有名なものとなり誰でも手軽に楽しめるようになりましたが、当時はまだ国会本会議および各種委員会中継などで用いられるくらいで殆ど一般の人々の目にとまるものではありませんでした。
ところで科学映画はご存知のようにフィルムで制作されたものですから、そのままでは一般家庭で手軽に視聴できるものではありません。どうしたものかと種々考えを巡らせていたところ、東京シネマ新社代表である岡田一男氏と出会い、高画質のネガテレシネ化の話を伺いました。
これまで制作された科学映画のネガから高画質でデジタル映像化する技術で、英国CINTEL社のテレシネ装置と、専門的な技術と知識を持つスタッフの手によってフィルムの映像が鮮やかなデジタル映像として蘇るわけです。これだと思いました。これが第一の出会いです。
その後、2005年11月、様々な科学映画を世に送り出した小林米作氏が100歳の天寿を全うされました。翌2006年8月には氏が住み慣れた地元の神奈川県茅ケ崎市で「小林米作氏を偲ぶ会」が催されました。
氏のご子息(小林健治氏:現東邦音楽大学教授)夫妻もお嬢様も音楽を愛する音楽一家なのですが、偲ぶ会では音楽の演奏とともに、生命誕生、膵臓の内分泌、そしてThe BoneIIの代表三作品が上映されました。会に参加された200名前後の方を前にして上映された作品はいずれもたいへん好評でした。
その反応に触れて、「科学映画は現在でも変わらぬ感動を与えることができる」という思いを新たにしたのです。科学映画が視聴者に与える感動に直接触れることができた。これが第二の出会いです。
この会に参加されていた朝日新聞論説委員の辻篤子氏が、朝日新聞夕刊の「編集者の窓」で「理科離れが叫ばれているなかで、このような貴重な映像を活用しない手はない」と科学映画を大きく取り上げてくださったのです。科学映画が社会のなかで果たすことのできる大きな役割と出会った。第三の出会いです。
これらの出会いに後押しされ、科学映像を保存して後世に伝えようという思いが明確なものとなりました。誰でも手軽に科学映画を教育、企業、家庭でも視聴できる仮称「科学映像館」を設立しようと思い、第一歩を踏み出したのです。次回は科学映像館設立のためのより具体的な活動を中心にお話ししたいと思います。
科学映画を広く配信することが可能となる新しい技術、また科学映画を視聴した方々の新鮮な感動、そして理科離れが叫ばれる現代で科学映画が果たす役割の重要性。これらがきっかけとなり、現在私たちが様々な科学映画を手軽に視聴できる「科学映像館」の設立に至ったということなのですね。今回も貴重なお話を聞かせてくださり有難うございました。