2012年 10月 01日
科学映像館物語4.「科学映像館」誕生へ~ハードルを乗り越えて~の補足
骨の健康づくり委員会が2,3回紹介されています。この会は筆者が大学退任後、骨の健康づくりの啓発活動のために2001年、浜松医大名誉教授の井上哲郎先生と日本女子大学の江澤郁子先生と立ち上げたものです。
主な活動は全国各地でのセミナーの開催と骨密度の測定です。7年間に27回、北は札幌から西は広島、米子で開催しました。セミナーの参加者が約5,500人、骨密度の測定者は3,500人を超えました。
と同時にWebサイト骨の健康づくり委員会を企画、骨の健康に関連した情報を発信してきました。この名称、骨の健康づくり委員会は発足時、事務局が電通にあり、彼らが提案したもので、大変ユニークで好評でした。この活動は雪印乳業株式会社の全面支援で行われたものです。
2004年ヨネ・プロダクションで撮影を担当していた金子文雄氏(The Boneを担当)から、科学映画をWeb配信したいとの申し入れがありました。当時Webによる動画の配信はまだまだ始まったばかりの時代で、送受信側とも十分な環境は整っていませんでした。You Tubeは動画を配信していましたが、300Kbps~600Kbps程度でした。国会はライブで委員会の模様を配信しておりました。
ここで筆者が関係した17作品の配信を始めました。大型動画の配信を始めるとブログで書くと、一挙にこの名前は広がりました。配信はいわゆるストリーミングという手法であり、ある程度版権を守れるとのことでしたが、1,2年の間にダウンロードも可能になりました。この世界、いたちごっこですね。
しかし映画製作者の理解はまだまだの時代、配信映画を増やすことはできませんでした。骨の健康づくり委員会活動とともに幕引きをしようかと思っていた時、第2回でお話しした「小林米作をしのぶ会」が2006年に開かれたわけです。そこでこの仕事をとの執念が再燃した次第です。
科学映像館の名称には一つのエピソードがあります。小林さんの映画の保存と活用に大変熱心な(?)映画関係者との接触があり、この科学映像館の名称(盗作)が自分の映画をYou Tube配信する際のアカウントに使用されたのです。そこで多くの方にご迷惑をかけることになりました。しかし、まあ活性化に繋がったとも言えるので放任していますがね。
科学映像館を名づけた裏には、帝国臓器とグレラン製薬会社が合併時の担当者から聞いていたことが、大いに参考になりました。名称は3文字がいいそうで、長からず、短からず、人の記憶に残りやすいそうです。前にお話しした両製薬会社の合併後の名前はなんと「あすか」です。偶然でしょうか、日本の自動車会社はすべて3文字です。トヨタ、スズキ、マツダ、ホンダなどなど、外国人も発音しやすい。グローバル化の時代名前も大変大切でしょうね。
「8mmにせよ、VHSにせよ文化遺産であり、また各自の掛買のない宝であり、捨てないで」と、東京光音東京光音の松本氏はといつも言っています。この一念で彼はデジタル化の仕事に打ち込んでいるのです。