2012年 10月 05日
学映像館物語 5~ハードルを乗り越えて 2~
まずNPO法人設立ということで、定款を準備したり、法人の申請など様々な手続きも必要であったかと思いますが、どのように設立準備を進めたか教えていただけますか。
NPO法人として「科学映像館」を設立するにあたっては勿論申請が必要でした。NPO法人は県(県知事)に申請するものと、国(内閣総理大臣、複数の都道府県に事務所を設置する場合)に申請するものと二種類ありますが、国に申請する場合は法人認証を得るまでに長くて2~3年と、たいへん時間を要します。これに対して県に申請する場合は認証までに2、3カ月で済む。4月1日の設立を目指していたこともあり、科学映像館は県に申請することとしました。
次に役員の選定です。館長は折茂肇先生(現:健康科学大学学長)にお願いしました。また映画制作関係者から3名を選出して、うち2名、大沼鉄郎氏(ヨネ・プロダクション代表)と岡田一男氏(東京シネマ新社代表)には副理事長となってもらいました。このほか研究者仲間にも役員をお願いすることにしました。NPO法人の役員は設置する都道府県に住民登録する必要があり多少難儀したのですが、最終的に関東在住の方を中心にお願いすることとしました。科学映像館の組織
2007年3月3日、最初の理事会を開きました。議題の中心は会費で、入会金、年会費をどのようにするかといった点を中心に話し合いを持ちました。
またNPO法人として定款も必要です。定款作成については、辻淳氏(有限会社マジックアワー代表、科学映像館会員)が詳しかったため彼に依頼することとしました。彼が定款の基本的な部分をまとめ、組織や活動方針などは科学映像館の定款として相応しいものとなるよう、私が修正を加えました。
科学映画の配信にはウェブサイトの制作も重要ですね。特にどのようなところに重点をおいて制作されたかなど教えていただけますか。
科学映像館ウェブサイトの企画、デザインについては竹内環氏にお願いしました。ウェブサイトにはご存知のように設立の趣旨、活動内容、映画制作の背景と記録映画の役割、そして個人会員と協賛企業の紹介も盛り込みました。またウェブサイトには科学映像館に対する関係者の方の様々な想いを語ってもらい、それを掲載しています。
法人の申請、定款の作成、そしてウェブサイトの制作と緊密なスケジュールでしたが、やはり様々な人たちの協力を得て二か月半の間にすべてクリアしました。こうして無事4月1日、NPO法人科学映像館の設立にこぎつけたのです。
ウェブサイト構築の次は、いよいよ配信映画の選定ですね。映画選定と配信までの作業にはどのようなものがあり、どのような点に苦労されましたか。
配信映像がなければ科学映像館は成り立ちません。映像の選定は2月初旬から取り掛かり、前述の大沼鉄郎氏と岡田一男氏にそれぞれ2作品ずつ提供してもらいました。配信にあたって契約書を取り交わし、デジタル化した映像については科学映像館が保有するとともに、もうひとつのデジタル化映像を制作会社に寄贈する。また作品のフィルムは制作会社が保管する、ということで取り決めをしました。
映像の選定に目処がつくと、今度はネガテレシネ作業です。テレシネ作業とその大変さについては前回お話ししましたが、第一作生命誕生のデジタル化が完了したのは4月末でした。そして5月1日、この第一作の配信を開始しました。これはHD化したものとSD化したものと二種類を同時に配信したのですが、映像の差は歴然でしたね。ちなみに科学映画の配信にあたっては、ただ配信するだけではなくリファレンスとして上映時間、制作年、企画制作者、監修者・機関、そして作品の受賞歴などの情報も出来る限り詳細に記載しました。
映像配信の反響はどのようなものでしたか.
映像を配信するとすぐ大きな反響がありました。いろいろな方に電話で称賛の声や感想を聞かせてもらうこともありました。そのなかで特に、私が現在でも心に残っている言葉があります。第一作「生命誕生」制作に関わった生物資料製作者の浅香時夫氏から寄せられた言葉です。その前に浅香氏について少しお話ししましょう。
話は1960年、安保闘争の頃に戻ります。彼は当時東邦大学の森於兎(作家・森鴎外の長男)教授のもと、発生学実験の助手を務めていました。同じ頃東京シネマ新社の岡田桑三氏が「映画の世界にも生物資料の研究室を作りたい」と考え、彼に参加を懇請したのです。森教授の研究も一段落し、また教授が定年を迎える頃と重なったこともあって、彼は生物資料製作者として映画の世界に入りました。彼はここで細胞、微生物、またウイルスといった生物資料の提供を通じて長きにわたって活躍しています。浅香氏の生物資料提供とは
その浅香氏が2007年5月、最初に配信された「生命誕生」を観た後で私に電話を掛けてきました。そしてこう言ってくれたのです。「先生、やりましたね。映画を制作したのと同じものが蘇りましたね」。彼の言葉を聞いて、私はこの仕事をやって本当に良かったと、心から思いました。4月1日の設立まで二カ月半のスピード準備でしたが、浅香氏の言葉をはじめ映像を観た方からの反響の声を聞くことができたのは本当に良かったと思いました。
緊密なスケジュールでの準備でしたが、設立のきっかけとなった「貴重な科学映像を後世に伝える価値がある」との先生の想いのとおり、科学映像を観た方から多くの称賛や反響の声が寄せられたことに私も感銘を受けました。今回も貴重なお話を聞かせていただき、有難うございました.