2012年 10月 09日
科学映像館物語第7回の補足
関係者からのクレームも届きましたが、この映画は多くの方の目に留まったようで、多くの方に見ていただき、常にトップ10にランキングされていました。そこで「大正末期の水澤9.5mm映画」も自信を持って配信しました。
映画は内容も素晴らしく、しかも美しい映像が理想的です。しかし、掛け替えのない内容であれば、少しばかり傷つき、鮮明でなくても、その映画は貴重なもの。これ以後、送られてきた映画はすべて配信することにした節目の作品になりました。
「昭和初期 9.5mm映画には、後日談があります。大船渡線を愛する地元の活動グループから、彼らのWebサイト懐かしの大船渡線のリンク許可願いが舞い込みました。その後、彼らは昭和8年3月3日、昭和三陸沖地震(M8.1、震度5、津波最高28.7m)の半年後、開設された陸前高田駅の周辺と手前の駅の解説をWebサイトに掲載してくれたのです。
ところが、昨年の東日本大震災で大船渡線は完全に寸断され、陸前高田駅も跡かともなく流失していました。Webサイトの副管理者の武蔵通さんと家族の無事が確認されたのは、地震後3か月過ぎた6月でした。携帯を使ってのメールと電話連絡でした。彼にとって唯一の大船渡線、「昭和初期9.5mm」映画を地元の人たちと見たいので、DVDを貸与して欲しいとのこと。早速コピーして指定の住所に送ったのですが、彼の手に届いたのは10日後でしたでしょうか。
一つの作品にもこんな物語もあるのです。今回の災害で多くの貴重な映像も一瞬にして失われたと思いますね。公的な映像のみならず、個人にとって掛け替えのない写真もあります。特に公的な貴重な映像遺産の保存と活用の大切さを痛感しました。
9.5mm映画のもう一作大正末期の水澤9.5mm映画(最初頂いたDVDには、「昔の水澤」とラベル)が少し遅れて、脚光を浴びてきました。そこで提供者の阿部氏からこの作品のルーツ等の資料を得て、電話による問い合わせを進めました。昔の水澤町のホテル王が繁栄していた水澤の街を映画に収め、後藤新平氏らに贈呈したものでした。
大火の絶えなかった水澤に結成された消防隊の佐々木佐五平を称えた日高火防祭、繁栄した街の様子、銀行、郵便局、学校などが克明に映像化されています。特に大正11年に開設された緯度観測所(現在の天文台水沢)の映像は天文台前館長大江氏もびっくりされ、以後、この映画の保存のために種々ご尽力いただきました。水沢図書館には、後藤新平、斉藤実に関する映像も保存されていますが、諸般の事情により、デジタル化が許されなかったのは極めて残念でした。
次いでこの作品がいつごろ撮影されたのかが、気になりました。そこでまず前述の武蔵氏に映画見てもらいました。2,3日後彼からの返事が届き、銀行の定期預金証書の日付が,大正12年と記されていること、銀行の閉鎖と合併の時期から,大正末期に撮影されたものであろうとのメールが届き、タイトル名も「大正末期の水澤 9.5mm映画」大正末期の水澤 9.5mm映画と改めました。この件については、本当に多くの方にご迷惑をかけました。ここにあらためて感謝します。
電話取材中に宮古市のある方が昭和8年の昭和三陸沖地震による津波の映像を持っておられるとの情報も入り、幾度かお電話したが繋がらずあきらめたのは、今となれば残念な結果になっているのでは思います。
今回9.5mmと言った聞きなれないフィルが、登場しましたが、東京光音で対応可能なフィルムは15種類もあるようです。しかも1950年以前のものは可燃性で扱いも大変です。詳細はこちらをご覧ください。東京光音
またブログSightsongが9.5mm映画に関するいろいろな事柄を紹介しています。