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久米さんの科学映像便り

科学映像館物語 13~2010年の出会い 1~

科学映像館物語、第13回は主に2010年前半の出来事と、新たな出会いや発見についてお話を伺います。先生、どうぞ宜しくお願い致します。

2010年の始め、一本の電話がかかってきました。東京文映株式会社の柴田幸治氏からで、「東京文映には貴重な作品がある。ぜひ活用できませんか」というものでした。その後、同社の会社概要や作品一覧などがまとめられた書類が送られてきました。

東京文映株式会社は1965年(昭和40年)、土屋祥吾氏により設立された会社ですが、氏はもともと東映教育映画部と専属契約を結んで活躍しておられました。そして独立して東京文映を立ち上げたのです。神鋼電機株式会社(現:シンフォニアテクノロジー株式会社)や株式会社日立製作所などの大手企業や、独立行政法人理化学研究所などと共に作品を製作しており、振動の世界遺伝子を見るなど優れた作品が生み出されています。

私はその後柴田氏の紹介で土屋社長と会うことになり、その席で科学映像館設立の経緯や、その活動などをお話して活動への理解を求めました。

その後土屋社長と柴田氏は、作品のデジタル化の件で東京光音に2,3の映像を持ち込んだことがあったのですが、その席上に私も参加しており二時間ほど話す機会がありました。そこではじめて日本住血吸虫という作品を紹介されたのです。この作品については後でまたお話しますが、これはつい最近、1990年代まで周辺の住民を苦しめていた山梨県のある地域における風土病を取り上げた作品です。この貴重な作品をはじめ、東京文映には全11作品を提供してもらいました。

東京文映との関係ですが、土屋社長、柴田氏、そして私と三者の思惑が必ずしも一致しないところもあり、以降の作品配信は今のところストップしています。土屋社長は今もご健在で、電話でお話をすると非常に矍鑠としておられ、現在でも活動意欲は旺盛だなと感じることがあります。お会いした当時に既に東京文映は閉鎖されていましたが、貴重な作品はまだ200作品ほど残っているようです。但しそれらは散逸していたり、保管状態も必ずしも万全ではないため、これらもできるだけ早いうちに収集とデジタル化が望まれます。

日映科学映画製作所との出会い

結核の生態真空の世界など、有名な作品を数多く製作している株式会社日映科学映画製作所との出会いについてはどのようなきっかけがあったのでしょうか

日映科学映画製作所は1951年(昭和26年)、石本統吉氏によって設立された映画会社で、こちらも当時の文部省や日本国有鉄道、株式会社日立製作所など官庁、大手企業などを取引先として様々な映画を製作していました。そのなかには昨年の東日本大震災で再生回数が急増した福島の原子力黎明なども含まれています。

実は、前回でも触れた十字屋映画部で活躍していたスタッフが、時代の変化とともに日映科学映画製作所に活躍の場を移したという経緯があり、小林米作氏もこの日映科学映画製作所で活躍していたのです。

この日映科学映画製作所との出会いについては、あるエピソードがあります。一人の先端的なアイデアを持った若者がいました。彼は北米で勉強してきた経歴を持って日映科学映画製作所に入社したということでしたが、そのアイデアは当時非常に先鋭的なものでした。つまり、You Tubeを使って科学映画を配信するというものでした。彼がある日私に電話をしてきてその話を切り出してきたわけです。

しかしこれには難しい部分もありました。著作権などの問題です。いったんYou Tubeに科学映画がアップされれば確かに世界中の人がいつでも気軽に視聴できますが、一方で本来想定している目的以外にも使われる恐れがあります。広い意味での盗作などですね。彼もその問題には気づいており、電話でいろいろ話をしたのを覚えています。この問題は後に、配信される作品中に製作会社名と「科学映像館」の文字をクレジット表記するなどのアイデアに繋がることとなります。

彼の考えは当時の私からみれば理解が難しい部分もありました。後になって、結局彼が日映科学映画製作所を離れたという話を聞きました。ただし私は彼のアイデアが必ずしも間違いだったとは思っていません。当時としてはあまりにも先鋭的で、周囲の理解や協力が得にくかったのかも知れませんね。

日映科学映画製作所からは40作品以上を提供してもらい、現在配信しています。その中には貴重な科学映画である「はえ」などを手掛けた、日本初の女性監督である中村麟子氏が監督や脚本などで参加している作品もいくつかあります。この中村麟子氏についてはまた別の機会に詳しくお話しましょう。

風土伝承館杉浦醫院との出会い

日映科学映画製作所の作品であるよみがえる金色堂は現在HD化されて配信されていますが、実はこのHD化は山梨県の方の支援で行うことができました。これがきっかけとなり、私のブログでも紹介している「風土伝承館杉浦醫院」との交流が始まったのです。

風土伝承館についてもエピソードがあります。ある科学映画を探しているということでしたが、なかなか見つからないという話を聞きました。何か手掛かりはないですかと聞いてみると「パンフレットがある」ということでした。このパンフレットを見ると「日映科学映画製作所」とあった。そこで早速同社に問い合わせてみると、はたして作品を発見することができました。「人類の名のもとに」です。

この風土伝承館と、「日本住血吸虫」、人類の名のもとにの関係についてお話します。最初の方でも少し触れましたが、山梨県のある地域で風土病が長く流行していました。日本住血吸虫症です。「風土伝承館」は、その風土病の原因を突き止め、病気を撲滅するため私財を投じて闘いを挑んだ杉浦健造医師が開いた病院を復元したものです。

この地方病はつい最近、1996年になってようやく終息宣言が出されましたが、長く周辺住民を苦しめていた病気でした。「日本吸血吸虫」、「人類の名のもとに」はこの日本住血吸虫がもたらす病気と、その撲滅に向けた関係者の闘いを記録した作品です。また風土伝承館は「科学映像館を支える会in山梨」として、私たちの活動に協力してくださっています。

2010年にも様々な出会いがあり、新しい活動を始めるきっかけが生まれました。この年に感じた大きな変化としては、活動がこれまでの一方向なものから、作品がいろいろなところから持ち込まれるようになり、また新たな相互交流が生まれるという「双方向」なものになってきた、ということです。次回は新たな活動なども交え、2010年後半を中心にお話したいと思います。

2010年にも様々な出会いがあり、新たな活動や相互交流へのきっかけが生まれたことを非常に興味深く感じました。次回は2010年の後半の出来事を中心にお話を伺えればと思います。先生、どうも有難うございました。
by rijityoo | 2012-10-25 18:04 | 科学映像館物語(18) | Comments(0)

今なぜ、科学映像館か? その舞台裏を語ります。