2012年 11月 03日
科学映像館物語 15~2010年の出会い 2~
今回は2010年後半の活動を中心にお話します。2010年後半には大きなイベントとして「埼玉県NPO大賞2010」への参加と、私の故郷である徳島県美馬市における文化祭での特別講演がありました。
「埼玉県NPO大賞2010」とはどのようなものだったのでしょうか。
これは全国的にも面白い企画でした。「特定非営利活動法人NPO埼玉ネット」が「平成22年度埼玉県NPO協同提案推進事業」として開催した事業で、実施要領によれば「先進的・創造的・社会的な活動を実践しているNPO法人を県民投票などによる選考を経て表彰することにより、優れた事例の普及とNPO相互の交流を深め、NPO活動のさらなる活性化を図ることを目的として『埼玉県NPO大賞2010』を実施する2010」とあります。埼玉県にはNPOがおよそ1,700あるのですが、それらがまず書類選考で30団体まで絞り込まれました。
その後さらに一次審査としてインターネット、ハガキ、携帯電話などを通じて上位10団体まで絞り込まれました。多くの方が投票してくれましてね。驚くことに「NPO法人 科学映像館を支える会」はこの一次審査を第1位で通過したのです。2010年12月2日のことです。
それは素晴らしいですね。
一次審査を通過した団体には二次審査があり、300名ほどの来場者を迎えたなか各団体が10分間でプレゼンを行いました。その後300名ほどの来場者と審査員6名による最終選考が実施され4団体が大賞として表彰されたのですが、残念ながら科学映像館は入賞なりませんでした。「埼玉県NPO大賞2010」は埼玉県に根差した活動を実施するNPOを表彰することを主眼としていたこともあり、必ずしも埼玉県内に活動を限定していない私たちは、それが入賞を逃した原因であったかも知れませんね。私のプレゼンも最悪でしたしね。
しかし入賞こそ逃しましたが、これをきっかけにまた新たな出会いがありました。ひとつはNPO法人子ども大学かわごえの事務局長酒井一郎氏との出会いです。この出会いがきっかけとなり、翌2011年には独立行政法人原子力開発機構の池田要氏と出会うこととなり、大きな話が生まれることとなります(この件は現在進行中ですから、最終決定後お話します)。
もうひとつは岩手県宮古市出身の川口功氏との出会いです。氏との出会いがきっかけとなり、昨年3月11日の大震災後の岩手は半歩歩き出すや、大津波を撮影した宮古市職員の方の映像東日本大震災 巨大津波が提供されることとなったのです。
美馬市における文化祭での特別講演とはどのようなものだったのでしょうか。
徳島県美馬市は私の生まれ故郷です。高校までを美馬市で過ごし、大学は大阪でした。その地元徳島の教育委員会から、10月26日に開催する文化祭で特別講演を行ってほしいという依頼があったのです。当日は日帰りで行ってきました。
いつもながら感嘆するのですが、すごいバイタリティですね。
美馬市の多目的体育館「うだつアリーナ」を会場として講演を行ったのですが、会場には少なくとも300名ほどの方が来てくれました。小学校時代のクラスメートも10名以上来てくれましたでしょうか。残念ながら私はパッとクラスメートとの想い出を蘇らせることはできませんでしたが、クラスメートは全員私のことをしっかり憶えていたようです。小学校の頃のマドンナたちと、70年ぶりの再会できたことは嬉しかったですね。
ここでも、この特別講演がきっかけとなり新たな出会いがありました。美馬市文化協会会長の佐藤一夫氏です。氏は徳島県土木部に所属され、吉野川にかかる長大橋の設計を手掛けた方です。一方で8mmカメラ撮影の愛好家でもあるのですが、この出会いをきっかけとして名田橋架設工事記録や和傘の里、半田そうめんなど数編の作品を提供してもらうこととなりました。8mmカメラで撮影されたものですが、されど8mm。大手の製作会社が製作した作品とはまた異なる視点からじっくり撮影されたもので、非常に貴重な価値があります。
また徳島県教育委員会次長である国見武男先生との出会いもありました。国見先生は中学校長を務めておられましたが、退官後は教育委員会次長を務め、その後ITの活用に取り組んでおられます。文化祭当日は名刺交換するだけだったのですが、その後コンタクトするたびに距離が近くなり、ITのことでは、直ぐに先生に連絡をとって教えてもらいました。科学映像館ここ2年間の活動は、先生のご協力になくてはと言った感じですね。本当に助かっています。
また先生には、美馬市の小中学校におけるDVD普及活動でも大変お世話になっています。
このように2010年にも、活動をきっかけとして様々な出会いがありました。出会いは誰にでも訪れるものだとは思いますが、出会いをきっかけにしてまた相互に活動の世界を広げることができたのは幸運なことだったと言えるかも知れませんね。
2010年にも活動を通じて新たな出会いがあり、またさらに活動の幅が広がっていったということですね。今回も貴重なお話を聞かせて頂きまして、有難うございました。