2012年 11月 11日
科学映像館物語 16 ~東日本大震災と科学映像館~
2010年後半から2011年初めにかけて「埼玉県NPO大賞」に参加していましたが、前回でもお話したように残念ながら入賞はなりませんでした。その後はまたいつもどおり映像配信を継続していましたが、2011年3月11日に発生したマグニチュード9.0、最大震度7の大きな地震と、地震による津波などの災害―後に「東北地方太平洋沖地震」、そして「東日本大震災」と呼ばれる―によって、科学映像館は図らずも注目を集めることとなります。
震災によって配信作品が注目を集める
2010年11月頃、通常の配信作品として福島第一原子力発電所の建設準備調査記録を描いた黎明と、福島第一原子力発電所1号機の建設過程を記録した福島の原子力を加えました。原子力発電に関する作品としてはこの他に原子力発電の夜明けがあり全部で3作品になるのですが、正直なところ私たちはこの作品に何の特別な感情も持っておらず、様々な配信作品の一つに過ぎないと考えていました。
配信作品に加えた当初は再生回数も月間2-30回程度でした。ところが2011年3月11日に地震が発生し、その後に発電所の事故(後に「福島第一原子力発電所」と呼ばれる)が発生した3月14日頃から、再生回数が一日で数百回程度にまで激増しました。
そのきっかけはTwitterでした。Twitterで「黎明」と「福島の原子力」、そして「原子力発電の夜明け」が取り上げられたことで情報が広がり再生回数が増えたのです。上記の3作品だけで、2011年3月の再生回数は合計5万回を超えるまでになりました。再生回数が激増したことでサーバーも従来のままでは対応できなくなり、この3作品だけは別にして対応したのです。
この3作品の配信については、実は当時いろいろとありました。細かい話は控えますが、作品内容の関係から「政策や企業のプロパガンダに加担するのか、『提灯を持つ』のか」といったような声もなかった訳ではありません。もちろん科学映像館としても無用な摩擦や混乱をわざわざ招くようなことをする理由もありません。一時はこのような周囲の事情を鑑みて作品配信を見送ろうとしたこともありました。すると今度は「大企業の圧力に折れて貴重な映像配信を止めるのか」といったような声も届くようになり、結局そのまま配信を継続するようにしたのです。
ちなみに「大企業の圧力」といったようなものは今まで一度もありません。
映像の話に戻りますが、Twitterからの情報がマスメディア関係者にも伝わったのでしょう。3月17日には、日本テレビの「NEWS ZERO」やテレビ朝日の「サンデー・フロントライン」など複数の番組から映像使用の問い合わせがありました。その後もメディア関係者から科学映像館に多数の問い合わせが来るようになりました。通常映像使用に関する問い合わせは使用2,3カ月前くらいに来るのですが、予期せぬ事態の連続する状況であったため、数日前の問い合わせはまだ良い方で、場合によっては前日に問い合わせが来ることもありました。もちろん平日、土日関係なしです。3か月間でNHKを始め民放各社の報道番組などで30数回使用されたと思います。
そこで私は映像使用に関して日映科学映画製作所から交渉権を持たせてもらいメディア関係者への対応を一手に引き受けるようになり、そのなかで私は製作会社と協議のうえ大きな決断をしました。2011年6月末まで、震災関連報道で使用される作品の映像使用料を無料にしたのです。未曾有の大災害で多数の被災者が苦しんでいるなか、使用料や権利関係で些細な点まで杓子定規な対応をしている場合ではないと思ったのです。製作会社も、快く協力してくれました。
ただし放映される映像には「科学映像館」と「日映科学映画製作所」のクレジット表記をお願いするなどして、映像の出典を明確にしてもらうようにしたほか、番組ホームページ内に科学映像館のリンクを置いてもらいました。
テレビ局から多くの問い合わせがあったほか、朝日新聞電子版Asahi.comやWall Street Journal電子版でも取り上げられました。また英国BBCをはじめアメリカ、フランス、ドイツからも問い合わせがありました。一時期は科学映像館として空前の多忙な毎日となりました。
状況が多少落ち着いてきた2011年6月頃、宮古市の職員の方が撮影した津波映像を送ってもらいました。現在も科学映像館で公開していますが、これは一切の編集を行っておらず、効果音もナレーションも加えていない映像です。津波が押し寄せる状況を冷静に記録しているもので、それだけに資料としても非常に貴重な価値を持つ映像となっています。
震災の被災者と科学映像館
今回の震災では科学映像館はメディア関係者に映像を提供しただけではなく、岩手県や宮城県の被災者の方向けにDVDやDVDプレーヤーを寄贈するなど、震災に遭われた方への支援活動も行いました。
とても興味深いお話だと思います。詳しいお話を聞かせていただけますか。
これは「独立行政法人福祉医療機構助成」と「赤い羽根助成金」の支援を得て行った活動です。後者は正式には「赤い羽根『災害ボランティア・NPO活動サポート募金』支援事業」というもので、「東北関係映画による被害者の精神的復活のための支援事業」というものです。
この活動では震災に遭われた方に、「東北の祭り」や「よみがえる金色堂」を収録した3枚組DVD「東北の記憶」と日本各地の祭事や城址などを取り上げた映像作品を収録した2枚組DVD「日本の記憶」を各500枚用意したほか、再生用のDVDプレーヤーも200台用意しました。DVDプレーヤーは大手の量販店に発注するという手もあったのですが、地元の釜石で津波の被害を被った電器店さんに発注しました。出来るだけ地元密着の支援をと考えたのです。
当初は私も含め、岩手や宮城の仮設住宅を訪れ、手ずからDVDやプレーヤーを渡そうと考えました。しかし仮説住宅は各地に点在するほか幾つか問題もあり、現実的に考えれば難しいということで、盛岡市のSEVE IWATEにお願いしました。
この活動の反響は大きなものでした。被災者の方からは「素晴らしい機会を与えてもらいました」、「よくやってくれた」、「今回の贈り物は有難い」、「他の被災者にも是非みてほしい」、「今回の震災で全て失ったが、心からの贈り物に感謝します」など100通を超えるお手紙をもらいました。
東北地域は冬に雪が多く降るため、どうしても家などに籠りがちになるそうですね。震災で避難所や仮設住宅暮らしを余儀なくされた被災者の方にとっても、避難所などで皆一緒にこのDVDを鑑賞することで高齢者と若者が語り合うきっかけになるという話も聞き、少しでも社会的な貢献に繋がる活動ができて良かったと思いました。またこの活動がきっかけとなり岩手や宮城の方と知り合うことができ、新たな作品を入手するきっかけも得られました。
震災は本当に不幸な出来事であり、被災地によってはまだまだ再建途上であるといった状況かも知れません。一方で今回の震災を通じて、科学映像館にしかできない社会的な貢献の方法もあるのだということを知り、実際に科学映像館にしかできない活動を行って被災者の方を支援できたということには大きな意味があったと言えるでしょう。
メディア関係者向けに科学映像を提供する以外に、震災に遭われた方を対象としてDVDやDVDプレーヤーを寄贈するという、科学映像館ならではの支援活動を行ったという点を非常に興味深く感じました。次回もまた是非貴重なお話を聞かせて頂きたいと思います。先生、今回も有難うございました。