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科学映画の父小林米作氏

小林さんは1937年銀座十字屋映画部でカメラマンと参加したのが、映画の世界での第一歩でありました。戦後、「生きているパン」と「結核の生態」等を製作し、科学の世界に顕微鏡撮影を本格的に持ち込み、新境地を開いたのです。

1958年、一編の科学映画が世界を驚かせました。東京シネマ代表 岡田桑三氏と製作した『ミクロの世界』が日本だけでなく、パドヴァ、ヴェニス、ロンドン、ブリュッセル、モントリオール、モスクワ等の国際映画祭において軒並み最高賞を受賞したのです。

このニュースは新聞紙上でも大々的に報道され、当時ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士や水泳の世界新記録を樹立した古橋広之進氏のニュースと同じように、終戦後の疲弊に苦しんでいた日本の社会に明るさと元気を取り戻すという評価を得ました。

その後も『生命誕生』などの名作が次々と世に送り出されましたが、これらの作品がとられた生命現象は、製作当時には見過ごされても、現代の新たな学問の水準からみたとき、なお多くの意味を語っているのではないでしょうか。この記録映像には、未来に向かっての価値がひそんでいるに違いありません。

この学問的意義を求める一方で、小林米作は科学映画を総合芸術としてもとらえていました。たとえば、三日三晩寝ずに微速度撮影した細胞分裂が映像が資料的には充分であっても、色彩、構図など、映像表現の美しさに満足がいかなければ、何度でも撮り直しをしました。

また、時代に先駆ける表現をもとめて、当時の新進作曲家、黛敏郎、武満徹、松村禎三、一柳慧、間宮芳生等の諸氏に作曲を委嘱し、映像と音楽の総合を図っています。

『生命誕生』にパドヴァ大学科学教育映画大会(1963年)審査委員会は、「この映画は最高の技術と映画的表現の天才的駆使により奇跡的完璧さをもって生物学の本質的現象を描き出している。それはまた高い抒情性にまで達した興味津々たる記録であり、かつ、人類の手による科学研究の頂点においては、科学と芸術とがまったく一つのものとなるという事実を映画的に立証している。」と絶賛しています。
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30年前小林氏と筆者
筆者は小林さんと1979年から15年間で「The Bone」、「The Bone II」と「Osteocyte」を製作する機会に恵まれました。未知の骨の世界に映画で切り込んだこれらの映画は、幾多の骨代謝に関する新情報を与えてくれました。この時から、科学映画を多くの方に知ってもらいたい、見てもらいたい、生かしてもらいと思ってきました。科学映像館設立の原点がここにあります。
by rijityoo | 2012-11-20 10:23 | 活動の蔵(1、208) | Comments(0)