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琵琶湖疏水の水が世界で二番目の水力発電所の建設につながる

水車から電気へ

明治14年早々、京都府知事として北垣国道が着任する。維新前は北垣晋太郎といい、生野の変に投じ幕末の京で志士として活動した男である。

彼は帝を失った京洛の衰微を憂え、新しく産業を興さんとエネルギー開発プランに着手する。それは幾度か計画されたこともある、琵琶湖から京に水路を引くという壮大な計画であった。

 たまたまこの時、卒論のためその水路の実測をした学生がおり、それが工部大学校校長・大鳥圭介の目にとまり、北垣知事の耳に届く。

学生の名を田辺朔朗といい、旧幕府砲術方の家に生まれた苦学生であった。彼は卒業ののち京へ招ばれ、北垣知事の決断により京都府御用掛を任ぜられる。ここに疏水の大工事が端緒についたのであった。

 壮年の知事と若々しい技術者の出会いは、明治初期のフロンティア精神とも相俟って、京都府に通常の歳出の倍以上という破格の予算を組ませることになる。

計画には賛否両論うずまき、外国人御雇技師のデ・レーケなどは強く反対した。また、古来瀬田川供御瀬をめぐる水論で揉めた経緯のある滋賀県と大阪府の反対がそれぞれの立場から来もした。

反対を押し切るかたちで、工事は明治18年にはじまる。大津から京都まで水路を引くにはトンネル開削を要する個所が三つという、日本初の大工事である。人夫の教育、資材調達と一からの苦労が待ち受けていたが、工事にあたって外人技師の手を借りていないことは驚異と言える。

工事は難渋を極め、犠牲者も出しつつ一時中止の危機にも瀕したが、四年にわたる工事は明治22年2月に完成をみた。両陛下を招いて行われた完成を祝うセレモニーには山鉾が出て、大文字が灯されたという。

完成なった疏水の水は世界で二番目の水力発電所の建設につながり、この電力により日本初の市電が京の町を走ることとなった
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市電はとうの昔に廃され、インクラインは跡を残すばかりとなり時代は遷ったが、疏水は今日も京都市民の上水水源としてゆたかな流れを齎している。(琵琶湖疏水 開削のの経緯から)
by rijityoo | 2012-12-15 20:13 | Comments(0)