2013年 01月 12日
小林米作氏が顕微鏡微速度撮影の技術を屈指して最初に撮影した本格的な作品が「生きているパン」
スマトラ、メダンのコダック社で、現像、撮影を学んで帰国した(1935年)小林米作は十字屋に入社、細菌物語りー病原体編(1941年)を撮影。誰も見ていないものを写したいとの探究心が顕微鏡の世界に。その後、南方都特派員としてジャワに派遣される。
戦後日本映画社に復帰、ここで最初に撮影した科学映画が生きているパンである。顕微鏡微速度撮影の技術を屈指して撮影した本格的な作品である。以後、岡田桑三氏の東京シネマ社に移り、生命誕生、ミクロの世界など不朽の名作を岡田氏、吉見氏らと制作。これらの名作の原点は生きているパンにあったのではと。この映画の配信は現日本映画新社のご理解とご協力によるものである。
戦後まもなく、東京の映画館で小林米作氏のこの映画を見た藤田恒夫新潟大学名誉教授は、科学映画の素晴らしさに感動したとのこと。以来、藤田名誉教授は小林氏の作品を学術的にバックアップすることになる。