2014年 08月 28日
近々、JR北海道の廃線路線映画を配信予定
北海道映像記録映画社で今年40周年を迎える老舗の一つ。この会社も2年前からコンタクト。今回北海道の町おこしの映画から交渉再開、やっとここに至る。以下の2作品は鉄道ファンのみならず、北海道の方にも・・・。
①「さよなら広尾線 夢をありがとう!」47分
「十勝地方の中心都市帯広と大平洋岸の町広尾を結んでいた広尾線は、1922年に公布された鉄道敷設法にある「胆振国苫小牧ヨリ鵡川、日高国浦河、十勝国広尾ヲ経テ帯広ニ至ル鉄道」の一部として1927年に着工され、まず帯広から中札内までが開通した。残りの区間は1932年までに順次開通している。
住民の足として、またじゃがいもや豆といった農産物の輸送に活躍したが、それらは次第に自動車利用へと移行していった。この利用減少に対し、1970年代半ばから「愛の国から幸福へ」というキャッチフレーズとともに愛国・幸福間の乗車券が爆発的なブームとなり、多くの観光客も訪れるようになる。その勢いは廃止が話題にのぼるようになっても衰えることはなかった。
その結果売り上げにも少なからず貢献したが、それも及ばず、1987年、約60年の歴史に終止符が打たれた。計画では苫小牧と帯広を結ぶ路線と発展するはずだったが、様似までは日高線として1937年までに開通していたものの、残された部分がつながることはついになかった。」
②「さらば栄光の幌内線 その104年の光と影」42分
幌内線で検索すると、
「道内初の鉄道として知られる官営幌内鉄道がその前身。1880年に開業した幌内鉄道だがその時点では札幌までの部分開業で、幌内まで達したのは2年遅れのことだった。これによって、優良な幌内炭鉱の石炭は手宮まで鉄路によって運ばれ、さらに全国へと流通して行くことになる。その後幾春別炭鉱の開坑ににあわせて幌内太(後の三笠)から幾春別までの区間も開通した。
しかし、1889年には幌内炭坑とともに北海道炭礦鉄道に譲渡される。その後北海道炭礦鉄道の路線全てが買収されて国有となり、その後岩見沢から幾春別、幌内までは幌内線となった。
沿線炭鉱からの石炭と地域住民を運んできた歴史ある幌内線も、自動車の普及、炭坑の閉山といった時代の波には勝てず、まず三笠・幌内間が貨物線となり、1987年には全線廃止。開通以来100年以上の長い歴史を終えた。」