久米さんの科学映像便り
rijityoo.exblog.jp
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30
カテゴリ
ブログジャンル
ランキング参加してます♪
記事ランキング
最新の記事
以前の記事
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
プロフィール
科学映像館理事長の久米さん。映像遺産を守り、生かすための日々!
ファン
画像一覧
カテプシンK物語(24)補足-カテプシン“O”が誕生していた?―

今月11月末、或る製薬会社が主催する研究会で「カテプシンK発見への道のり」と題してお話をすることになった。現役時代の発表は表舞台のみで、その裏では誰が何を思い、何を行い、そして何が起こっていたのかについて触れる機会は極めて少ない。そこで研究に取り組んだ20年間を振返り、カテプシンK物語に補足を加えることにした。


まず「科学映画の父」とも言える小林米作氏との出会いがなければ、我々は骨の研究とは縁がなかったと思う。小林氏と出会い骨の科学映画の製
作に関わり、骨の生きた営みを明らかにすることができたことが切っ掛けとなり、骨の研究に取り組むことになった。当時、映画の撮影材料に

ラットの代わりにマウスを偶然使用したことから(大学の動物舎に適当なラットがおらずマウスを使用した)破骨細胞の研究へと進むこととなった。そして自治医科大学の須田年生先生と出会い、破骨細胞の起源の解明へと、さらに破骨細胞の骨代謝における役割の解明へと「真っ向勝負」することになったのである。


そこで、若く優秀な分子生物研究者である手塚建一君との出会いがなければ、我々は新しい酵素(カテプシン
K)を発見することは不可能であった。この研究は彼の言葉を借りれば「前人未到の手法」を用いたものであり、ほぼ連日失敗と方法の改良の毎日であったようである。実験ノートには“Failed!”“Give up!”の文字が並んでいる。それでも半年後にはOc-1を、1年後にはOc-2の分離に成功し、特にOc-2の分離にはクローン数も少なく困難を極めたようである。偽遺伝子の可能性もあり最初からやり直した結果、最初に拾い上げたクローンに含まれていたようであり、彼

はビギナーズラックであったと記載している。2個のクローン分離は小生の無知と無鉄砲、手塚君の冷静沈着でありながら未到のゴールに向かうチャレンジ精神から生まれたと言って差し支えないだろう。もし他のグループの人たちが試みたとしても、数年―いや永遠に―同様の結果は得られなかったかもしれない。


その後、当時の山之内製薬株式会社(現:アステラス製薬株式会社)の川島氏らと、ヒト巨細胞腫から同様の手法を用いて破骨細胞に発現する遺
伝子のクローニングを行ったが、骨破壊に直接関わりそうなものは見つからなかった。カテプシンOc-2のクローニングは、手塚健一氏の冷静かつ大胆なチャレンジ精神であるとともに、稀に見る幸運にも恵まれたことが奏功したことでもあった。


我々はウサギから破骨細胞を採集したが、もしヒト巨細胞腫の情報をキャッチしてその腫瘍を入手していたとすれば破骨細胞の収集は至って容易
であったこと、またヒト遺伝子情報も豊富であったことから、少なくとも3年早く新酵素を同定し“カテプシンK”ではなく“カテプシO”が誕生していたことは間違いない(カテプシンの命名は酵素の主要臓器の頭文字一字を付す習わしがあったが、同時期に卵巣から同定された酵素がカテプシンOと命名されており、仕方なく研究者久米川のKを付したのである)。


当時のスタッフ一同、他大学、会社からの優秀な若い研究者が参加し、活気あるチームカテプシンKを構成していた。見るからにユニークなメンバーで使用。実験中、一応白衣は着用していました。右写真の右から2人目が手塚建一君、寒いのに秩父まで魚釣りにでかける。地元の筆者はもっぱら運転を担当。
b0115553_08502333.png

しかし、我々が行ってきた研究成果から骨粗鬆症の治療薬が近々生まれ、多くの方を救うことになろうとは夢想だにしなかったことであり、誇りとするものである。これまでを振り返るにつけ、多くの方との出会いや発見のタイミングといった、さまざまなチャンスの歯車がうまくかみ合わなければ、ここまで来ることは到底できなかったとの感慨を禁じ得ない。

----------------------------------------------------------------------
[PR]
by rijityoo | 2014-11-13 13:05 | カテプシンK物語(23) | Comments(0)