2014年 12月 08日
カテプシンK物語が未だに多くの方が
この物語は掲載者久米川の大学時代における研究(?)の舞台裏をまとめたもので、小林米作氏とともに制作した骨の科学映画「The BONE」を切っ掛けに教室を上げて骨の基礎研究、特に骨を壊す破骨細胞の起源とその骨破壊機構に取り組んだ一連の研究にをまとめたものである。
その結果、カテプシンKを発見。この阻害剤が開発され骨粗しょう症の治療薬の可能性も囁かれている。我々がカテプシンK発見以来、約20数年、やっと成人として世に出ようとしているとは感無量である。
この仕事は久米川の無鉄砲考えと優秀な一若者のチャレンジによるものであった。1980年代後半では未知の遺伝子のクローニングは前人未到のチャレンジと彼も記載している。特に骨の分野では、当然のこと。当時の分子生物学者間では、骨の分野に踏み込むことは都落ちと揶揄された時代であった。
まず1千万個の破骨細胞の収集することでも大きな課題であった。これは多くの方の知恵と協力で達成したが、クローニングは失敗の連続、彼のノートには失敗とギブアップが毎日のように記載されていたようである。1年後,ウサギのカテプシン様遺伝子のクローニングに成功するも、ウサギの遺伝子情報がなく、新規の遺伝子とは決められない事態となる。
ここで交流のあった2、3の日本の製薬会社と話し合うも、リスクを考えて尻込み、最後に残った外資系製薬会社のグループリーダーの決断と挑戦によりカテプシンKは誕生したのである。
仕事を振り返ると、カテプシンKはチャレンジ、多くの方の出会いと協力によって生まれた言えるであろう。協力者に感謝あるのみである。