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久米さんの科学映像便り
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プロフィール
科学映像館理事長の久米さん。映像遺産を守り、生かすための日々!
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三水会だより「縄文語の名残を話してきた人たち」その6

目次

はじめに

第1部、八丈島の島言葉

aまずこの不思議な言葉を聞いてください。

b 時代による重層言語

c八丈島島言葉は縄文語の名残を伝えている

d方言系統の研究


第2部、日本語の起源:日本石器語の仮説

a 日本列島に渡来した人間たち

b 日本石器語をもって日本列島縦断

c 縄文語とアイヌ語の分離

d 日本石器語から縄文標準語へ

e 縄文語に弥生時代の試練


第3部八丈島になぜ縄文人が渡来したのか

a八丈島の縄文遺跡

b 縄文人が部落総出でこの島に渡った理由はなにか。

c その後の遮断で保存された縄文語。

d 昭和に入って破壊され、絶滅危惧言語となった島言葉


第3部 八丈島になぜ縄文人が渡来し生き残ったのか

  1. 八丈島の縄文遺跡

    古い日本語をめぐる序説をひとまず終えて本論の八丈島に話を戻す。

    20142月、東海汽船の新鋭船で、夜の10時に東京竹島桟橋を出て、翌朝9時に八丈島に着いた。はるばる来たといった思いである。江戸時代は流人の島だったから、人跡の外れの地と思っていたが、ここに縄文遺跡があったというので驚きであった。


    次の図は八丈島である。島は二つの火山がつながって出来た島だ。周囲の海岸はほとんど険しいが、その二つの山の中央部は平地で船も接岸できる。現在東海汽船が着岸するのもこの底土港だ。島の中枢部もこの平地にある。


    縄文遺跡が発見されたのは、断崖にある2か所、湯浜と倉輪であまり人は立ち入らないところだ。

    この島を考古学的に調査した人たちの説では、縄文人たちは来ることは来たが、その後絶滅して弥生時代に再び来たという。(橋口尚武:海を渡った縄文人1999小学館)


    その根拠は発見された縄文遺跡が
    2件だけで、それから弥生時代の遺跡まで何も発見されていないからということのようだが、想像力に欠ける推定だ。私は縄文時代に上陸した彼らが生き延びて今の八丈島の原住民になっていると考える。その理由は次のようなものだ。縄文時代にこの島まで渡来するということは、物見遊山ではないし漂着でもない。後に述べるような生死をかけたのっぴきならない事情で、この人跡まれな遠島に来たのだ。彼らは当時の知恵を絞って、社会的に生存していける移住者群の規模と条件をそろえてやってきた。この島に来る前に三宅島や御蔵島を中継点として滞在し、十分に準備を整えて、この島に移住してきたのだから、簡単に絶滅するわけがない。食料にするためイノシシまで連れてきているのだ。それから数千年集団として生きて、人口を増やし社会を成功させた。遺跡が無いのは逆にこの地に生き続けた証拠だ。


    日本でも石器遺跡や縄文遺跡はおびただしく発見されるが、弥生時代の遺跡は極めて少ない。弥生時代は住居が少なかったのか? そうではあるまい。弥生時代以降は農耕文明で、それ以降はそこに定住し、同じところに居住を積み重ねていったから、住居跡が発見されないのだ。石器・縄文時代は農耕に適さない山岳部に住み、農耕時代にそこを放棄して平地に降りてきたので、逆に遺跡として残ったのだ。


    その類推でいけば、八丈島で縄文遺跡として発見された少数例は、不便で放棄したところと考えられる。初めに発見された湯浜遺跡、次の倉輪縄文遺跡は先の図の通りで、いずれも断崖の上にあり、初めて八丈島に来た集団がここに上陸して居を構えたとは考えにくい。やはり今も東海汽船が船をつける底土港付近、二つの山がなだらかに裾野を作る平地が広がる土地に上陸したであろう。この付近は長年住み続けたために、遺跡は発見されないだけで、事実この付近では石斧石器がたびたび発見されたのである。地下に埋もれた石器は保存されるのである。彼らの主力はここに住んだが、数千年のスパンで人口は増えて、海外沿いに展開していった。そしてやがて住みにくい山沿いにも広がっていった。

    湯浜や倉輪は初めの上陸地から一番遠い三原山の反対の山麓になる。しかし収まっていた三原山が、再び4000年前に噴火した。倉輪は溶岩流が海に落ちこむところに近く、いったんは住み着いたものの、危険になって慌てて逃げ出したのではないだろうか。だからこの倉輪遺跡からは、貴重な残留品が多く発見された。骨器釣り針が本土で発見されるより精巧にできていて、多くの種類の魚やサメ、クジラをとっていた証拠が見つかった。またイノシシの骨が発見されていて、本土から来たとき、イノシシの子供を連れてきて島に放牧したと推定されている。このように優れた能力を持った漁民の彼らが死に絶えてしまったとは考えられず、ずっと子孫を増やしていった。

    彼らは、その後たびたび漂着する漂流船がもたらした新しい時代の文化を吸収して、弥生化し、奈良時代人となっていったのだ。覚悟して生き延びるべく渡来した始まりの縄文集団と、その後に不運にも漂着した人々とは、数も準備も違うのだ。
    古文書の記録では、1474年から1865年までの390年間に199艘の漂着船が確認されている。15世紀くらいには2年に1槽漂着した。中国からも多かったようだ。



by rijityoo | 2015-01-28 11:21 |  三水会 便り(5) | Comments(0)