2015年 01月 28日
三水会だより「縄文語の名残を話していた人たち」その8
目次
はじめに
第1部、八丈島の島言葉
aまずこの不思議な言葉を聞いてください。
b 時代による重層言語
c八丈島島言葉は縄文語の名残を伝えている
d方言系統の研究
第2部、日本語の起源:日本石器語の仮説
a 日本列島に渡来した人間たち
b 日本石器語をもって日本列島縦断
c 縄文語とアイヌ語の分離
d 日本石器語から縄文標準語へ
e 縄文語に弥生時代の試練
第3部八丈島になぜ縄文人が渡来したのか
a八丈島の縄文遺跡
b 縄文人が部落総出でこの島に渡った理由はなにか。
c その後の遮断で保存された縄文語。
d、昭和に入って破壊され、絶滅危惧言語となった島言葉
戦後まもなくの1949年6月国立国語研究所第1研究室の一行7名が10数日の計画で八丈島言葉の調査研究に赴いた。翌年3月に発行された調査報告書によってその様子を詳細に知ることができる。当時の国語研究所の目的は明確なもので、「標準語を普及させる」ことであった。すなわち「標準語を話す度合いをたかめる」ためどんな対策が必要なのかを立案し実行することであった。島言葉の研究保存が目的ではなかった!
八丈島を調査対象の第1に選んだ理由も書かれている。八丈言葉は共通語とはかなり違った特殊な言語であり、独立した生活体をしているので、共通語を話す度合いを調べるのに適していたからだ。
もしこの調査の結果「共通語を話す度合い」とそれをきめる要因が明らかになれば、「共通語を話す度合い」を高める施策を強めることもできる。これが共通語による国語教育、さらには国語政策に寄与するものだと述べている。
調査対象になった島人に村役場から配られた依頼状がそのまま残っている。
こんど國立國語研究所〔文部省〕では八丈島の言葉を調べることになり、東京から係宮が八名まいっております。この調査は八丈島の言葉の性質をよく調べるとともに、標準語がどのように廣まっていくものであるかをくわしく調べるものであります。この調査の結果は八丈島の歴史を明らかにし、國語教育、標準語教育を改良するための大切な材料になります。
そこで、入丈島ぜんたいで数百名の方方について、その言葉を調べさせていただきたいと思います。お忙しいところ御迷惑とは存じますが、どうか調査の目的を御了解下さって、なにぶんの御協力をお願いします。
なお、あなたさまにお願いするようになったのは、配給台帳によってクジビキ式に選んだのでありまして、特別の事情によってしたものではありません。また、なんらかの能力を調べるためでもありません。お名前を書いていただくようなこともいたしません。
一、日時 七月○○日 午前午後 時から 時までにお集り下さい。
一、場所 ○○
一、用意していただくもの なにもありません。
一、都合の悪い場合は○○へお知らせ下さい。
一、かならず本人がおいで下さい。
昭和二十四年六月二十九日
國立國語研究所長 西尾 實 東京都新宿区四谷霞丘明治神宮絵画館内
○○
そしてあらかじめ用意された調査表によって面接調査が進められた。これは静穏だった島に大きな波紋を起こしたに違いない。標準語プレッシャーが国の名前で押し寄せたと実感したであろう。いわば島言葉の放逐のための先兵だったのだ。
報告書の内容は、統計学を使った難解なもので理解しにくいものだが、結論は簡単「共通語を話さなければならない場面が積み重ねられることによって共通語を話す度合いは高まっていく」であった。いうなれば教育の場の標準語化徹底を図るということになったのであろう。
このわかりきった本文よりも、興味がひかれるのは調査原資料のほうにあった。
人口 12733人 調査に応じた人216名
子供に標準語をしゃべらせたいか イエス 108 ノー9 不明 99
家で使う言葉 島言葉98 共通語31 使い分け40
共通語への関心 拒否6 空白186 時に使う10
「共通語への関心」の項目で、実際に調査員が行った問いは「なぜ標準語をお話にならないのですか?」であり、標準語使用へのプレッシャーをあからさまにした問いだが、
それに対して約9割の島人が「答えなかった」に分類された。いうなればこのプレッシャーにも関わらず、圧倒的多数の島民が標準語への拒否反応を示したのである。この島言葉への愛着が8000年八丈島言葉を連綿とつないできた原動力だった。
しかし国家の破壊工作も激しいものだった。特に子供の義務教育で島言葉を破壊した。全国共通の出来事だった。冒頭に挙げた昭和50年に中学校の校長として赴任した内藤茂氏によれば、その当時はまだ中学生の作文でも島言葉を色濃く使っていた。しかしそれから60年、国家の標準語教育は進み、戦後本土との交流が著しく盛んになった。空港もできて、観光客や本土の資本の流入などで、島民が生活や仕事上で、標準語が必要になる場面が増加した。
我々が訪問した時、お世話になった民宿の家族の人たち、レンタカーの会社の人、食堂やスーパーなどで出会った人たちもみな当たり前のように標準語を話していた。堅立で八丈太鼓と地元の手踊りショメ節を見せてもらった時も、島言葉には接することはなかった。大阪に行けば、新幹線から地下鉄に乗り継げば、そこはもう大阪弁の世界だが、八丈島は索漠とした標準語の世界だった。
国連教育科学文化機関(ユネスコ)が2009年2月に世界で消滅の危険にさらされている言語についての調査を発表した。そこでは、消滅の危機の程度を、アイヌ語を「極めて深刻」、沖縄の八重山語、与那国語を「重大な危険」、八丈島の言語を「危険」と分類警告した。ユネスコの担当者は、「これらの言語が日本で方言として扱われているのは認識しているが、国際的な基準だと独立の言語と扱うのが妥当と考えた」
この報告は、八丈島にもまた日本の言語界にもショックを与えた。世界からの目で危機を指摘されて、やっとその大切さに気付いたわけだ。八丈島教育委員会も島言葉の絶滅危機を訴え、保存を訴えるようになった。島言葉カルタを作って子供に与え、島言葉による芝居を上演するようになった。学校の学芸会でも、方言劇を取り組むようになり、シニア劇団「かぶつ」が島言葉の民話劇を作り機会を得て本土でも公演し、また学校へ出前公演し始めた。そして昨年から島の全小中学校で年間3時間ではあるが、方言学習をカリキュラム化した。
この貴重な八丈島言葉が、生きた常用言葉として回復することは、もはやむつかしいとしても、博物館的保存の希望はまだ残されている。それによって日本語の誕生物語の推定ができ、さらには、もっと広くわれわれ日本人を語るには欠かせない縄文文化の生身の姿を想像させてもらえるのである。
|
| ||
この音声の中で談話をしている方で連絡が取れない方がいらっしゃいます。 |
|
| |
■問い合わせ 八丈町教育課生涯学習係 電話 04996-2-7071 |
|
|
参考文献
日本語はいかに成立したか 大野晋 中公文庫2002
じゃっで方言なおもしとか 木部暢子 岩波書店2013/12
驚くべき日本語 ロジャー・パルバース 集英社2004/5/12第3刷
岩宿時代常設展示解説図録 岩宿博物館 平成23/3/15
八丈島の方言 内藤茂 昭和54年初版。平成14年3月復刻再版
八丈方言のいきたことば 金田章宏(千葉大)笠間書院2002/5/31
八丈島の観光を考える会「ルンルンガイド」2008盛夏号
オセアニアから来た日本語 川本崇雄 2007東洋出版
縄文語の発見 小泉保 元日本言語学会会長 青土社2014/6/10
日本のアイヌ語地名 大友幸男 三一書房1997
縄文語の発掘 鈴木健 新読書社 2000/2/22
古代日本史と縄文語の謎に迫る 大山元 きこ書房2001/7/7
国立国語研究所報告1、八丈島の言語調査 秀英出版195011/15