2016年 04月 19日
NPO法人科学映像館を支える会を写真で振り返ってみましたその1
2007年3月23日埼玉県富士見のマンションの一室でNPO法人科学映像館を支える会は産声をあげました。映画製作社代表2人、小林米作氏ご子息,前自治大学教授、明海歯科大学教授、スキップシテイ社員と小生でした。定款、会費とHPが主な検討事項。
35mmネガフィルムからHD化した映像を配信。スタッフの浅香さんから、早速お祝いと感激の電話「1963年制作時映像が蘇りました。先生ありがとうございます。」と。関係者の電話とメールで大混乱でした。
2007年11月2日(金)午後5時、スタッフが退室直前、他にアップする作品がないため、「68の車輪」を仕方なく配信(大変失礼な話)。夜9時、ログ解析を見てビックリ、すでに1,000回を超える再生。土、日にかけて7,000回超え。次週サーバー管理者によると2チャンネルで・・・・。これを機会に再生回数が10数倍に。
5月から11月まで数百回の再生回数が、「68の車輪」により1万回近くへ。
2009年9月25日朝日新聞科学欄の記事「科学映画を守って生かして」の効果は大きかったです。さらに再生回数が数倍アップしました。
2011年3月11日午後2時40分、東日本大震災が発災、宮古市職員の撮影映像が埼玉の川口氏を介して届き、早速撮影者の許可を得て配信。無編集映像は迫力を倍加し、自然の恐怖と教訓を。科学映像館中最高の視聴率。30万回を超えている。この映像は本年度の中学社会電子教科書の素材に。
2010年暮れから配信して福島の原子力発電所建設記録映画「黎明 調査編」と「福島の原子力―建設編」が12日原発事故に伴いTwitterを介して脚光を。放送局にも資料がないため、NHKを始め民放各社報道番組の素材となる。国内で30回、海外でもBBCを始め8か国で使用されました。BBCから電話あり、国内の素材提供に大わらわでした。ここで少し映像の提供と2次使用を明確にしました。映像を金銭だけでの提供だけはなく、出展を明確にしてもらいました。番組によってはHPに映像のURLを明記、視聴者が作品全体を閲覧できるようお願いしました。後半は次回に。