2019年 04月 25日
ロマの人々とクルド民族―差別と排斥・迫害の歴史(6)
(3)イラクのクルド人自治区での重大問題
イラクではフセイン大統領時代に武装闘争を仕掛けたクルド人地域部隊に対して毒ガスを使って、徹底的に弾圧した。命がけの被害を受けた人たちが難民となって隣国へ逃げようとした。見捨てておけないとして国連が人道支援を呼びかけ、民間団体を含めて国際的な支援が行われた。フセイン大統領が殺害されて新しい政権ができると、1970年からクルド人の自治が認められ、北部のクルディスタン地域に自治州が設定された。1992年にはクルディスタン自治政府となり、独自の議会や政党も生まれた。「クルディ
スタン外交代表部」を設置し、「ペシュメルガ」(死に向かう人々)という物騒な名称の軍隊も創設した。
但し、13万人の兵力の内統合軍は5万人で、他は各部族に属しており、統一が取れていない。そのなかで自治州の範囲に止まらず、独立を模索する動きが出てきた。こうしたことはイラク中央政府だけでなく、自国への波及を恐れるイランやトルコも強硬に反対した。それにもかかわらず自治政府は2017年9月25日に独立の賛否を問う住民投票を強行した。「クルディスタン地域と地域外のクルディスタンが独立国家になることを望みますか?」という問いに対してイエス、ノーで答えることを求めるものであった。
国連は憂慮する声明を出し、国際世論も厳しいものになった。それにもかかわらず投票が行われた。イラク北部のクルド自治区と国外に住むおよそ450万人の有権者の内72%が投票し、結果は独立賛成の票が92.7%と事前に予想された通りになった。イラク中央政府のアバディ首相は住民投票を憲法違反だとして取り消しを要求するとともに、独立に向けた交渉には一切応じないと言明した。そして自治区にある2つの国際空港を発着する国際線の運航を停止させた。
またトルコ、イラン両国とクルド自治区の国境管理を任せることを止め、中央政府が行うことに決めた。トルコのエルドハン大統領は住民投票を中止するよう再三要求し、国境付近で軍事演習を行って強く牽制していた。それにも関わらず強行されたので対抗措置をとる考えを示した。そのなかでクルド自治区からトルコ領内を通り、地中海の港に出る石油パイプラインを遮断することを示唆した。クルド自治区の経済は石油に依存しているため、実行されれば経済が行き詰るのは明らかである。またイランも航空便の運航を停止し、国境を閉鎖する方針を明らかにした。クルド人自治区は周りに海がない「陸の孤島」で食料も輸入に頼っているため、これらの制裁が行われれば住民の生活が大きな打撃を受けることになる。
NHKの2017年10月3日の(時論公論)「クルド住民投票の影響」は次のように解説している。クルド自治政府の意図は直ちに独立することでなく、中央政府と交渉するための手段であったようだが、狙いは完全に裏目に出た。この方針を支持したのはクルド系住民を多く抱え、彼らが独立当時大きな役割を果たしたとされるイスラエルだけで、その他の国は反対するか、黙殺した。国連の姿勢も厳しいものであった。
こうした圧力を受けてクルド自治政府は住民投票の結果を撤回してイラク中央政府との交渉に持ち込まず、この問題は誠意をもって時間をかけて話し合っていくことを声明した。自治政府の与党が反対党を出し抜くための暴発がクルドの国際的信用を大きく傷つけ、取り返しのつかない結果を生んでしまった。この結果自治政府のバルザーニ大統領は辞任し、中央政府のアパディ首相も責任を問われて選挙で大敗し政権を手放した。
(4)クルディスタンの平和と安定に向けて
世界は全体として大きく平和の方向に向かっている。「独立を果たして国造りをすること」が民族の悲願だとしても、新しい国は現在存在する国を置き換えて作る以外は不可能である。それは地に乱を起こすことである。そういうことはその国の国民が許さないし、国際世論も支持しない。その点は同じ「被圧迫民族」でもロマの人々の「新しい国は作らない」としたことの方が正しい。新しい国を作るのではなく、「現在生きている国で自治権を得て共存共栄していく」のが正しい行き方であろう。
日本との関係であるが、埼玉県蕨市に通称「ワラビスタン」という1,000人近くのクルド人が住んでいる街がある。観光ビザで入国して次々とここに集まったようで、子供は市内の学校で勉強している。近所の工場で働いたり、物を売ったり、クルド料理の店を開いたりして助け合って生活している。亡命の申請をしている人も多数いるとのことだが、日本政府はトルコに気遣いして1人も認めず、国際的にも批判を受けているようである。日本の支援団体も協力しているとのことだが、支援の輪を広げていきたいものである。
クルディスタンという広い地域に生きるクルド民族は、それぞれの国に住む民族と共存し、共栄していくことを追求してほしいものである。21世紀を迎えた世界は当初多様な国々が協同して国民国家を乗り越えて行く兆しが見えるかに思えたが、自国中心のポピュリズムが横行するようになってしまった。これでは世界の平和と安定は望めない。国連が提唱した「世界の持続可能な発展」(SDGS)は、これを取り戻すことの呼びかけであろう。
<参考文献>
『ジプシー』歴史・社会・文化 水谷驍 平凡社新書
『ジプシー差別の歴史と構造』 イアン・ハンコック著 水谷驍訳 彩流社
『クルド人とクルディスタン』―拒絶される民族 中川喜与志 南方新社
『クルディスタンを訪ねて』―トルコに暮らす国なき民 松浦範子 新泉社
『クルド人のまち』―イランに暮らす国なき民 松浦範子 新泉社