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ロマの人々とクルド民族―差別と排斥・迫害の歴史(5)

2.クルド民族とクルディスタン

(1)独立を悲願にしてきた民族

クルド人は先史時代に出現した民族といわれるが、詳細は判っていない。人種的にはイラン人と同じアーリア系に属し、アラブ民族やトルコ民族とは異なる。アラブ人、ペルシャ人と並ぶ中東地域における3大先住民族といわれる。古くからトルコ、シリア、イラク、イランに跨るクルディスタンと呼ばれる山岳地帯、高原地帯、平野部で牧畜や農耕を営んできた。クルディスタンの総面積はフランスに匹敵する広大なものである。長年住み続けてきたといっても国際法で認められた国家ではなく、他の国と隔てる国境もない。クルディスタンはタジキスタン(タジク人のイスラム国家)ウズベキスタン(ウズベク人のイスラム国家)と同じように呼んでいるが、広い地域の通称であって独立した国家ではない。ロマの人々とクルド民族―差別と排斥・迫害の歴史(5)_b0115553_22340776.jpg


このためクルディスタンが広がる4つの国とは絶えず緊張関係にある。宗教は多数がイスラム教スンニ派であるが、「宗教の貯蔵庫」と云われるように多くの宗派がある。クルド語という独自の言語をもっているが、長い間に分岐して方言が多く、同じクルド人同士でも通じない場合があるという。またトルコのようにクルド語の使用が厳しく制限されて普及が遅れた国もある。広大な地域が山や谷に妨げられているため近隣を除いてはクルド人同士の交流が弱く、限られた地域の部族を中心に部族長や長老、血縁関係や宗教指導者で作られた共同体で暮らしてきた。悲願である自分たちの国家を建設しようとしても、部族ごとにがゲリラ部隊をもって独自に動いているようでは統一した運動にならない。


クルディスタンは石油資源、鉱物資源、水資源が豊かである。現にそれらを保有している国との確執が激しく、クルド人は共通の敵として圧迫されている。クルドは中東第4位の人口がありながら独自の国家を持つ機会に恵まれなかった。過去に何度も独立を試みながら果たせなかった。歳月が経過すればするほど国際世論は、新たに独立を試みる民族に対して冷ややかである。

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2次大戦後ユダヤ人が欧米の支援を受けて強引にイスラエルを建国し、今も中東における緊張を招いているからである。同じような緊張関係を再び持ち込むのは止めてほしいということである。特にトルコ、イラク、イラン、シリアなど国内にクルド人を抱える国は強く反対している。シリア戦争を巡ってアメリカとロシアが介入したが、クルド人が利用されてアメリカの撤退後トルコの攻勢に曝される恐れが出てきた。さんざん利用して後は知らないでは無責任の誹りを受けるので、アメリカはトルコにクルドを攻撃しないよう圧力を加えているが、結果はどうなるか判らない。トルコには周辺の山岳部に多くのクルド人が居て、武装闘争も起きている。これをどう解決するかは周辺国にとっても重要である。

      

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トルコのエルドハン大統領は専制独裁の政治を実行し、国内ではクルド人の行動を厳しく規制している。以前はEU加盟を果たすためにクルド人への圧迫を控えたことがあったが、既に関税同盟に参加していて無理に加盟する必要はないという立場である。トルコのクルディスタン地域でクルド人たちが蜂起しないよう徹底的に弾圧しており、過激なやり方は国際的にも批判されているが、平気である。トルコとは意見の合わないイランやイラクも、クルドへの厳しい対応には無言の賛意を示しているようにみえる。


 クルド人はオスマン帝国解体後に独立国家の樹立を求めたが果たせず、どの国でも少数民族に甘んじざるを得なかった。1959年にはイラン北西部にクルド人民共和国を樹立したが、イラン軍によって直ぐに解体された。イラクのクルド人は1920年代のイラク成立後自治を求める闘争を続けてきたが、イラク軍によって厳しく弾圧され、イラン・イラク戦争末期の1988年には化学兵器で18万人が殺されたという。湾岸戦争停戦後、再度立ち上がったクルド人をイラク軍が激しく攻撃した。


 このため25万人の難民が発生した。難民の帰還を促すため国連安全保障理事会はイラク北部北緯36度以北をクルド人の安全地帯と定め、多国籍軍が監視した。その後サダム・フセインが殺害されて、この地域は事実上クルド軍が支配することになった。問題はクルド人の組織が1つでないことである。この時はクルド民主党クルド労働者党PKKが勢力を2分していて、イラク政府との自治交渉が思うように行かなかった。内部の不統一は常にクルドにつきまとうアキレス腱である。


 クルド人が住むクルディスタンが古くから3つから4つに分かれていて、意思疎通が困難で時には疑心暗鬼に陥る。これは新たに国家を創ろうとする場合は致命的で、トルコ、イラン、イラクに見透かされ、分断統治の手段に利用されている。歴史的経過のある複雑な問題ではあるが、その解決なしには悲願の国づくりであっても前進することはできない。お互いに同じ民族だとは云っても、長い間国境と峻険な山に囲まれて孤立を余儀なくされてきた関係にある。如何にして一体的になれるか、重要な時期に来ている。


(2)最悪な状況にあるトルコとの関係

クルド人は紀元前8世紀にイラン高原でメディア王国を建設したインドヨーロッパ語族のメディア人が先祖といわれている。しかし紀元前6世紀にペルシャ人によって滅ぼされ、以後ペルシャ、アラブ、トルコ、モンゴル、ロシア、イギリス、フランスによる分割統治を受けてきた。そして現在「国土を持たない最大の民族」と云われている。総人口2,800万人の内41%に当たる1,140万人がトルコとそれを囲む国境地帯に住んでいる。これはトルコの人口の約4分の1に当たる。


 トルコのクルド人は外見上トルコ人より多少色が黒いだけで区別がつかない。多くが低所得の階層で長年にわたる同化政策でトルコに飲み込まれている。それを忌々しく思っているのがトルコを囲む山岳地帯に住むクルド人である。同化したクルド人は大都市に多いが、ロマと同じように出身を隠すので気が付かないことが多い。イスタンプールなどで見かけるのは街角でのコーヒー売り、パン売りやタクシーの運転手、建設現場の労働者などである。


 トルコ政府は国境周辺にいるクルド人を<山岳クルド人>と呼んで区別している。大部分のクルド人はトルコ国民として国内に住んでいるので、「わが国にクルド人は居ない」というのがトルコ政府の公式な立場である。クルド人が北クルディスタンと呼ぶトルコの国境地帯ではクルドのゲリラとトルコ軍が戦闘を交えている。これを指揮したクルディスタン労働者党PKKの最高指導者アブドゥッラー・オジャランが1999年にケニアのナイロビにあるギリシャ大使館の建物に匿われているのが発見され、トルコが手配した軍用機で移送された。トルコは一旦死刑判決を下したが、EU加盟を有利に進めるため死刑制度を廃止して終身刑にし、マルメラ海のイムラム島で服役中である。


 その後オジャランは武装闘争路線を放棄したが、別のグループが依然としてトルコに対するゲリラ闘争を続けている。ギリシャとトルコは常に争っている宿敵である。トルコでは独裁色を強めているエルドハン大統領はクルド人が抵抗を続ける限りクルドの存在を認めないと強硬である。シリアへの対応ではサダト大統領を支援するロシアと通じ、アメリカに対抗してきた。これに対してクルドの地域部隊はアメリカ側に加わってISの掃討を進めたが、国境ではしばしばトルコ軍の攻撃を受けてきた。トランプ大統領がシリアからの撤退を宣言し、クルド軍は窮地に陥った。アメリカはトルコがクルドを攻撃するのは許さないとしているが、どういう展開になるか予断を許さない。


by rijityoo | 2019-04-25 22:40 |  三水会 便り(5) | Comments(0)