2019年 04月 25日
ロマの人々とクルド民族―差別と排斥・迫害の歴史(3)
(3)ロマの虐待とナチスのホロコスト
その昔ロマの先祖が長い期間かけてやってきたのはバルカン半島であった。その中でもルーマニアが多かった。バルカン半島の他の国々では追い払われることが多かったが、ルーマニアは積極的に受け入れて農奴や奴隷にした。他の国々から追い出された人々まで集めたのである。こうして現在に至るまでルーマニアで居住するロマ人が一番多い。人々はルーマニアを始め、多くの国で虐待され続けた。
第1次、第2次世界大戦を通じてロマは激しい弾圧を受けたが、特にナチスドイツによるホロコストでは多くの人たちが犠牲になった。強制移住と強制労働を強いられ、優生学の立場からロマはユダヤ人とともに、絶滅すべき民族としてアウシュヴィッツを始めとする強制収容所に隔離され、次々に殺された。その数は25万人から50万人、あるいは50万人から150万人ともいわれているが、全く記録がないので実数は判らない。戦後ドイツのユダヤ人虐殺に対する謝罪と補償が行われたが、ロマに対する犯罪行為を認めたのは1982年のことで、ユダヤ人への措置に比べると32年も遅れた。ドイツに倣ってルーマニアでもロマのホロコストが行われたが、実情は明らかにされていない。ロマが住んでいる国は35か国に及ぶ。EUの推計では、ルーマニア185万人、ブルガリア75万人、スペイン72万5千人、ハンガリー70万人、スロバキア49万人、フランス40万人、ギリシャ26万5千人、チェコ22万5千人、イタリア14万人などとなっている。この他、イギリス、ドイツ、ロシアにも分布している。
次に示すのはロマの旗である。国がないのに旗だけはあるというのは奇妙だが、せめて旗だけでもということかもしれない。描かれているのは移動に使った車の車輪であり、成程と思わせるものがある。
でもということかもしれない。描かれているのは移動に使った車の車輪であり、成程と思わせるものがある。
(4)ロマの置かれた境遇と生活
ロマはどの国でも差別され、迫害されて苦しい生活を送ってきた。最も人口の多いルーマニアでは特に差別が根強く、就学、結婚、就職、転居などあらゆる面で苦しめられている。遠い昔からルーマニアでは習慣としてロマへの差別が続いていたといわれる。21世紀に入った今でも差別は激しく、EU諸国からの強制送還でロマの人口が急増しているのも要因である。自己申告による国勢調査では50万人となっているが、出自を隠している人が多くそこから185万人という数字が出てくる。
ロマへの差別を批判する国際世論に対してルーマニア政府は「国内にロマはいないので、ロマに対する差別もない」と主張している。これは後半で取り上げるクルド問題に対してトルコ政府が「我が国にクルドという民族は存在しない」と主張しているのと一緒である。ルーマニア政府に云わせればロマは居ないから差別もないということで、改善策を一切講じていない。しかしルーマニア国内では実際に残虐なことが起きている。「ルーマニアの奴隷村」を警察が強制捜査という新聞記事である。それによるとブカレストの北170キロにあるベレボイエシュティ村で、村民が拉致してきた数十人の若い男性や青年を鎖で繋いで虐待していたことが判ったとのことである。彼らはいずれもロマである。ロマは居ないという政府の言い分と異なり、実際に居るロマの人たちはこのような虐待を受けているのである。それにしても未だに奴隷が居るというのは驚きで、各国の新聞に報道されたが、被害者がロマだと判るとヨーロッパでの受けとめ方は冷淡である。程度の差はあっても殆どの国がロマに対する差別を行っているからである。
ルーマニアを始め中欧諸国では19世紀まで奴隷市が修道院などで公然と行われていた。これは1852年に行われた奴隷市のポスターである。「売り出し中。極上のジプシー奴隷。1852年5月8日、聖エリアス修道院でセリにより売却。成人男性18人、少年10人、成人女性7人、少女3人。健康状態良好」と書かれている。
『ジプシー差別の歴史と構造』イアン・ハンコック著 水谷驍訳 彩流社
この冬のルーマニアのポスターの写真コピーはブカレストのニコラエ・オブレスク氏から贈呈されたと記されている。
今年4月8日のNHKニュースウオッチ9は衝撃的な事件を報道した。パリの川べりでロマの人々のテントが次々に襲われ、抗議する支援団体の人たちに口汚いヘイトスピーチが浴びせかけられたというのである。これはフランスだけでなく、他の国々にも広がっているとのことで、これを憂慮した国連のグレーテス事務総長がヘイトスピーチを止めるよう異例の警告をしたとのことである。