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ロマの人々とクルド民族―差別と排斥・迫害の歴史 (2)

1.ロマとはどういう人たちか?

(1)ロマの人々との出会い

ロマは新しい言葉で日本人だけでなく、海外でRomaといっても知らない人が多いが、Gypsy、ジプシーといえばよくわかる。しかしその後国際的に差別用語として使われなくなり、ロマ、Romaに変わったが、日本ではあまり浸透していない。私がロマに始めて会ったのは、当時未だ西ドイツであったフランクフルトでのことであった。名所見学のため広場に止めてあった観光バスに突然女性と子供の集団が押しかけてきて窓をたたいて開けろと云う。籠に入れている花や小物を買えというのである。現地のガイドと日本人の引率者は取り合わず、絶対に窓を開けてはいけないという。


未だバスに戻っていない人がいるので、引率者が車外へ出て迎えに行こうとするとこの連中が殺到してくる。押しのけるようにして残った人たちを乗車させてようやく出発した。説明によるとヨーロッパ各地を浮浪するジプシーとのことであった。ジプシーの存在は以前から知っていたが、会ったのは始めての経験であった。ドイツだけでなく、この後訪れた国々で聞いてみたが、どこでもジプシーのことは口にしたがらない。この状況は今も変わっていないようである。

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今回,国を持たない世界の2大被圧迫民族として、ロマとクルドを取り上げることにした。前者は人口1,0002,000万人、後者は2.5003,000万人といわれているが、人口統計がないので正確には判らない。両者の性格も対照的である。

・ロマは性格がやさしく、スリや泥棒をしても人を殺したりはしない。独立も求めない。

・クルドは猛々しく、クルディスタンという領域内でしばしばテロや反乱を起こし、部族間争いも絶えない。「国土を持つのがクルド民族の悲願」だとして戦い続けている。


(2)ロマのルーツと広がり

ロマは10世紀半ばにインドのパキスタンに近いラージャスターン州に住んでいた人たちがタタール人に追われ、食料不足から逃れるために1万人を超える集団でバルカン半島へ移動したと云われる。ここから東欧の各地に散らばったとされるが、相当長い間にわたったと考えられる。ロマがジプシーと呼ばれたのはジプシー(エジプト人)がなまったものである。


フランスには1427年にエジプトから来たというジプシーの記録があるとのことである。ジプシーは南方や東方からやってきた異形の異教徒を総称したものであり、インドからやってきた人たちだけを指したことではなさそうである。ジプシーは差別的ニュアンスがあるというので、ロマと云い始めたが、イギリスには「トラヴエラー」(移動しながら生活する人)という云い方があるとのことである。実際は旅人として遇されるのでなく、蔑視され、邪魔者扱いにされて危害を受けることもあった。言葉はサンスクリット系のロマニ語の各種方言を使うとされる。この言葉は分岐が激しく、相互に通じないことがあるとのことである。

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そのため住んでいる国の言葉をやりくりして使う場合が多い。独自の文字はもたない。宗教は居住する国の主要な宗教を受け入れている。イスラムもカソリックもプロテスタントもいれば、ギリシャ、ブルガリア正教徒もいる。職業は楽士や大道芸、博労や鍛冶屋、行商や占いなどが主なものとされるが、これに限らずいろいろな職業がある。どの国でも土地を所有して商売することは許されない。音楽が大好きで、プロの音楽家を始め、どの国でも冠婚葬祭があると呼ばれて演奏し、歌い、踊って祝儀を貰うのが生活の糧になっているようである。


ロマの人々は家族や小集団で暮らし、他の集団と一緒に生活することは少ないが、音楽祭だけは一緒にし、遠くからも参加するとのことである。ここで入賞すると冠婚葬祭に呼ばれた時の祝儀のランクが上がるので、生活に直結するイベントになっているのである。音楽はロマの人々にとっては生活そのものといっていい存在である。ロマの人々は物の所有に執着しないので、勤勉でなく怠惰や不道徳を指摘されることもある。


世紀を重ねるにつれて放浪の民に他の民族も加わり、インドだけをルーツにすることはできなくなっている。しかし多くは髪が黒く、褐色の肌をしていてインドの影響は強いようである。国をもたない人々なので詳しい歴史は判らない。どの国でも極めて少数派で、差別され、迫害されて生きてきた。こうしたことから放浪の民といわれてきたが、現在では放浪民は20%程度で後は半定住や定住のようである。ロマの人々にとってバルカン半島は第2の故郷と云われており、ここからヨーロッパ各地へ移動して行った。最近はヨーロッパだけでなく、アメリカへ移住して暮らす人たちも増えてきた。ロマの人口は推定1,000万から2,000万人と幅が大きい。ロマ人が居る国ではできるだけ少なく見せかけようと過少に報告し、ロマの人々も自分の生い立ちを隠そうとするので実際の数より少なくなる傾向がある。小集団で分散して暮らしているので、国家への帰属意識はなく、自分たちの国を持とうという意識もない。その点は同じ国をもたない民でもクルド民族とは大きく異なるところである。


 余り知られていないが、ロマの家系に繋がる人々の中には世界的な有名人が居る。自らは公開したがらないので、死後公になることが多い。なかでも目立つのは音楽家と俳優であり、ロマの人たちの現在の生き方にも繋がっている。

・ヨハン・シュトラウス二世 ・カルメン・アマヤー ・チャールズ・チャップリン

・ユル・ブリンナー ・リター・ヘイワース

異色なのは元アメリカ大統領ビル・クリントンである。日本人では小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が挙げられる。


by rijityoo | 2019-04-25 23:01 |  三水会 便り(5) | Comments(0)