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平成を駆け抜けた第2の人生(1)

2002年大学を定年退職。3月31日大学から「骨の健康づくり員会」準備のため、マンションの一室へ荷物を運びこみ、戸棚、机等大物家具の設定が終わったころ、同僚の女性問題で奥さんの相談役をとのある人から一本の電話。翌日4月1日、知り合いの弁護士さんを事務室まで来ていただき、種々お話を。絶対に離婚を受け入れないこととの強いご指示を。以来3年間、奥さんの相談役を無事務め、役割を果たす。

そもそも、退職後の仕事は「骨の健康づくり員会」、骨の健康づくりの啓発活動が、私の役目。これには数年前から、牛乳から骨の健康に良いとされる成分の分離精製を会社員と取り組んできた。2000年、その会社が事故を起こし、この成分、MBPを再建の目玉にとの依頼。一応、再建が軌道に乗り始めたころ、今度は輸入食品の偽装をある会社が告発。今度は事件である。2001年2月、仙台で第1回の「骨の健康づくりセミナーin仙台」を電通の企画で開催予定。中止すべきか、どうか、これには本当に悩む。さらに骨の健康づくり員会から手を引くべきか?我々自身は事件に関係ないので、ある方から続けるべきとのご意見を頂く。しかし、セミナーは会社のためというより、謝罪の意味を込めて、内容は中立を保持することに。

2002年から第二回を東急エージェンシーの企画で横浜とさいたまで各800万円の予算により行う。エイジェントは営業でもあるが、セミナーは初めてのことで、あまりにも大げさで、無駄が多く。湯水のごとく予算が流れている感じ。しかも彼らはスポンサーである会社には一目おくが、我々員会に対しては?種々検討の結果、委員会独自で企画、開催が可能と判断、予算は100万円以内で、告知、パンフレット企画・作成、骨密度測定、相談医等の準備を、大学時代の3人のスタッフと当日のアルバイトでセミナーを。そのため、宇都宮、千葉などの会場まで足を運ぶこともしばしば。さらに告知を新聞折込と受付等の作業。その間に骨の健康づくり委員会のHPの作成、骨の健康に関する問い合わせ等々へ対応、多忙な毎日を。

その後、北海道や広島の大学との共同で、北は北海道から,西は広島、島根、鳥取等で5年間で26回セミナーを行う。われわれはそれなりの成果を上げたと思ったが(参加者約4000人、骨密度測定者2000人)、会社は事故、事件に対する謝罪より営業を優先、費用対効果がないと判断、2007年でこの委員会活動は打ち切られることに。しかし、この間には色々得ることもあり、その経験が、科学映像館活動に大いに役立つことになる。
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2004年からこの事業とへいこうして始めたのが、「科学映像館」である。貴重なフィルム時代の作品をデジタル化してネットで無料配信し、共有化するとともに、未来遺産にすることである。本格的に初めて13年目になるが、1,000作品を公開、再生回数は1500万回と、社会的な評価も高まり、これらの作品を令和の時代へ贈り届けたいと。

by rijityoo | 2019-04-29 12:34 | 活動の蔵(1、208) | Comments(0)