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先行配信のお知らせ「くろがねの騎士達よ、永遠に(第2部)」

撮影:三品勝暉 制作:慶應義塾大学鉄研三田会60周年記念ビデオ制作委員会
1994年 カラー 55分

1. 雪中力行―C62重連―

 急行「大雪」が気動車化されたのが昭和38年以降だったか。爾来、C62重連は「まりも」一本になってしまった。毎年ダイヤ改正の都度気動車化されることに怯え、遂にはC62の入場予定を苗穂工場に問い合わせることまでした。

快晴の朝、小樽築港機関区で雪まみれのC62が出庫する瞬間からカメラをまわした。2両が対象のため、フィルムを使い終えてしまい、2両目がテーブルに載るのは同じように晴れた時にしかできない。一日片道一回しか撮れない撮影に私は昭和38年以降取り組み、

カラーフィルムで再挑戦したのが昭和41年冬からだった。そうして昭和46年、牽引機がDD51に換わるまで、毎冬撮り続けた。列車名も「まりも」から「手稲」「ニセコ」と変わっていた。

小樽築港機関区を出区、小樽に向けての回送まで、かなり綿密に撮った。小樽でED76が解放され、2両のC62が安全弁を噴かせながら後退してきて連結、ブレーキ試験を終えて発車を待つ。汽笛2声、小樽、一番線を発車した。すぐに勾配に挑むため直ちに加減弁を満開、雪で低下した粘着ぎりぎりでのカットオフ、かつて東海道で特急を牽いていた当時と変わらない高加速だ。25‰勾配での迫力は凄い。大きな排気膨張室の故にかC62重連の走行音は途切れの無いジェット機みたいな音だった。日本一を誇る1675㎡の伝熱面積から発生する豊富な蒸気は雪に埋もれた急勾配などものともせず力行を続ける。単線線路の両開きポイントで減速したあとの回復運転での加速も特急けん引時代を彷彿とさせる。倶知安でカマガエ、給水、点検を終え、残る目名~上目名間の勾配を走り抜ければ長万部迄大した勾配はない。熱郛の先あたりでは、道路が線路に並行しているので車による追いうちにも挑戦した。1750㎜の大径動輪が回転し、バルブギアが忙しく動作し、除煙板の燕が樹間に跳舞する、これほど興奮する撮影はない。しかし、ぶれるので使えるカットは少ない。

やがて長万部に到着、慌ただしく前補機を開放し、本務機は給水、カマガエ後、単機で函館に向かうところで撮影を終えた。振り返れば昭和38年に始めたC62重連撮影、最初はモノクロで倶知安までで終えた後、カラーで撮り直した。この間、常紋も布原の3重連も撮らなかったのは後悔してもしきれない。

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(昭和4146年)  三品勝暉

2 最後の煙―夕張線のD51

 昭和50年3月、動力近代化委員会の決定どおり、日本の蒸気機関車は全て火を落とした。最後は旅客列車が室蘭線C57、貨物列車が夕張線D51、入換機9600だった。私の最後の蒸機撮影は前年の昭和49年秋の夕張線であった。夕張駅から追いかけたD51はギーゼルエゼクタ取り付け機だった。特色のある煙突から煙の出るところを私は、初めて見た。扁平形の煙突は太いボイラのD51には似合わない。今後は煙の出る機関車は見たくても見られないのだ。煙が見られるだけましか、

私の生誕する2年前、D51は誕生した。幼時、絵本に掲載されたD51の絵を描いたのが、この道に嵌るきっかけとなった。戦中、戦後の激動期、石炭不足にあえぎながらも鉄道輸送を守り抜いた。長きにわたり安全輸送に貢献したことに有難うと言いたい。「くろがねの騎士」蒸気機関車よ永遠にあれ。             (昭和49年)  三品勝暉


by rijityoo | 2024-12-24 05:54 | 先行配信映画(107) | Comments(0)