2007年 07月 13日
はじめに・・・
たくさんの方に支えられ、4月1日にオープンした空間劇場、「科学映像館」も順調で進行、
現在HD化作品6編、SD化17編を配信しています。
予算面でも会員のご支援に支えられ、何とかこの3ヶ月間仕事を進めることができました。
そこで今回、少し余裕ができたので、堅苦しいホームページとは別に、「科学映像館」設立までの舞台裏をお話をしてみましょう。
今回は科学映像館設立までについて、述べてみたいと思います。




【1】科学映像館設立までの背景
戦後、報道カメラマンであった小林米作氏が、東京シネマ代表の岡田桑三氏と一緒に世界に冠たる科学映画、特に「生命科学映画」を制作しました。
しかしながら、時代の変遷とともにこれらの映画は全く秘蔵化され、ほとんどの人がこの映画の存在を知らない状態となっています。
先日開催された「骨の健康づくりセミナーin札幌」(340名参加)で、代表作である「生命誕生」を上映したところ、私の予想に反して誰一人観たことがないという結果に大変びっくり。こういった映画を何とかして世に残し、教育や研究の現場で活用してもらいたいとの考えが、設立の原点です。
また私は、1970年の後半から小林米作氏と骨に関する映画を制作する機会に恵まれました。小林氏の映画はもうすでに分かった内容を映像化するのではなく(教育映画)、まだ未知の生命の神秘、謎への挑戦、いわいる科学映画の制作でした。私達は15年間、骨に関する3編の映画制作に関わりましたが、新たな多数の情報を得ること、映像の力を常に実感しました。すなわち映画の製作は研究そのものでした。
映画から得られた情報を元に破骨細胞の起源と形成、骨溶解に関わる新しい酵素の発見へ、また骨細胞の研究の糸口をも作ってくれました。第2作、「THE BONEⅡ」を米国骨代謝学会で映画を上映すると、「君の名は」現象も起こり、隣の会場は全く空っぽとなりました。三回ものアンコール。
20年に亘って、各地の大学で特別講義をさせて頂きましたが、映画の上映を始めると、今まで寝ていた学生も息を飲んで、映像に見入ってました。彼らの感想文から色々な要望もあり、骨折からの治癒過程における細胞たちの働きを映像化したものが「骨折~治癒の記録~」であります。
若い先生方からは、「この貴重な映画を残すのは先生の責務である」とも言われ、本当にその気になったとも思えます。したがって私からすれば、科学映像館の設立は20数年前から芽生えたとも言えるのでしょうか。
こういった科学映画を活用し保存には大きな組織が必要でしょう。しかし、日本では新しいものには目を向けるが、過去には非常に冷たい、特に科学映画には冷たい感じがします。色々な文化財団を調べても新しい映像の制作のカテゴリーはありますが、フィルムの保存に関するものは全く見当たらない。日本財団で日本の伝統文化を継承の支援というカテゴリーを見つけましたが、その内容は踊りや太鼓などとのでした。
したがって私達は、「過去の映画の保存」の新しいカテゴリーを設けてもらうのが活動の第1歩です。我々の科学映像館の活動が関係者の目に留まれば、留まってほしいとの気持ちです。
次回は実際、オープンに至るまでについてお話します。
ではでは、理事長