2007年 09月 14日
The Bone II 撮影の舞台裏 その3
研究には、幅広い基礎的な知識と洞察力、そして幅広い視野にたっての考えが大切。そのためには、幅広い分野での活動と人的交流も大切であろう。そして常に複眼力を。
波間からせり上がる裸婦のカットは、海から陸への動物の進化過程における骨をイメージした映像。ではこの映像はどのように撮影されたのか? ある日、撮影現場に足を運び、びっくり。大きな実験机の上に手製のプールが作られ、満々と張られた水。スタッフが交代で延々と人工波を。この波を背景に例の真っ白な裸婦がせり上がる。この映像のデジタル化で、背景の波の色が裸婦に反映し、ピンクがかっているのは非常に残念。
実は、今回も商業映画ではなく、科学映画に徹したため、企画した会社との調整は難航。
監修者ともども落とし所では大変な苦労があった。その中で会社の担当者の理解と協力には大いに感謝。
追記
以上2編の映画は多数の情報と研究素材を。映画の完成後、教室は破骨細胞の研究へ。自治医大の須田先生等との破骨細胞の起源の実証に始まり、骨吸収評価系の確立、破骨細胞の分離と特異遺伝子の分離,同定など。その間、国内外の多くの研究者と交流。当時大学に、海外の研究者を招聘できる制度があり、教室はこの制度を大いに活用。ホートン博士、ネイベイド博士ら7人の研究者は、公私にわたり、私たちに大きな贈り物を。次回からネイベイド博士とともに分離した骨細胞と映画, OSTEOCYTE、制作の舞台裏を。
2007年 09月 12日
The Bone II 撮影の舞台裏 その2
ところが予期せぬ展開が。たまたま動物舎に適齢期のラットがいなかったため、スタッフはマウスを用いる。3,4日後には、シャーレ一に多数の多角細胞を発見、しかも再現性があるとのこと。スタッフの報告に嬉しくもあり、不勉強さに恥ずかしい思いを。以後、破骨細胞に関する研究は、マウスが用いられることに。
そこでこの多角細胞の形成様式と破骨細胞の同定に取り掛かる。まず形成様式の観察.融合によるのかどうか?スタッフとともに観察を重ねた結果、融合によるのではとの結論を。次いで破骨細胞の同定。この多角細胞の染色性とかカルシトニンのリセプターの存在だけでなく、骨破壊能力の有無が、最も適切と考え、本格的試料の作成へ。
形成の実証には高いハードルが。どの細胞が何所で多角化するのか?スタッフは丸1週間ぐらい観察に観察を重ねる。デジタル時代の今日であれば、試し撮りも可能だろうが。35ミリフィルムの時代、当然、確実性が求められる。下左の写真は即本番の映像である。神がかり的なカット。しかし、この映像はスタッフの長時間にわたる観察力と洞察力から生まれたもので、決して偶然の結果ではない。


一度分離し、遠く離れた細胞を引きつれ元の細胞と再融合。細胞表面に特異性を示唆する映像である。しかもこれらの細胞は骨吸収能を発揮『下右の写真』、すなわち破骨細胞であることが明らかに。骨吸収評価系がチャンバーズ博士によって提唱され、本格化されたのは、この映画の完成4年後のことであり、小林さんとスタッフの先見性と洞察力に頭が下がるのみである。
2007年 09月 10日
The Bone II 撮影の舞台裏 その1
第二作では前回と異なり、制作目標がある程度明確に。その一つは第一作で問題となった破骨細胞は何細胞から出来るのでしょうか?即ち破骨細胞の起源と形成である。もう一点は動物での骨形成の映像化。この2点に絞られ、検討が続いた。
今回は骨形成について。異所性の石灰化を誘導する骨形成因子(BMP)を用いて骨形成をと。当時阪大でおられた高岡先生に資料などで大変お世話になった。その映像化のため、腹筋に窓を持ったチャンバーを植え込み、2個のプリズムを使って腹腔側から照明し、顕微鏡で観察しようとの仕組み。スタッフは、まずチャンバーの試作、全て手作りである。腹筋にMBPを含んだチャンバーをセットし、動物を仰向けに固定。この状態で長期間の飼育と観察、大変ユニークな発想。残念ながら、骨形成までにはいたらなかった。

初期の目的、骨形成の映像は得られなかったが、予期せぬ映像、血管の新生像が。筋組織から血管が新生し、赤血球が血管をこじ開け、管腔を形成するといった珍しい映像が撮影された。写真はその映像である。
このシステムを考案、試作したのは、九州大学文学部フランス語学科出身者で、科学映画製作に取り組む物静かな青年であった。小林さんを幅広い分野の人たちが支え、根気よく各カットの映像化にそれぞれの工夫と仕組みを。次回は破骨細胞の形成について。
2007年 09月 05日
映画配信を始めて4ヶ月
2,3年前から、骨の健康づくり委員会で科学映画の配信を始めた時から、配信映画の選定は、慎重に行ってきた。その基準は、商品名が入っていない映画で、受賞暦、推薦、学術指導体制などの資料審査。その後、各映画をDVDで視聴、配信へと。科学映像館でも同様の方針で選定。大きな選定ミスはないと確信しているが、各映画の視聴傾向から選定の難しさも感じる。所詮一人の選定には限度があることを実感。なんでこんな映画がと、言われるかもしれないが、視聴者の感心も色々、評価も色々である。
また過去の名作も学問の進歩、環境の変化、撮影技術の進歩などで、色あせることもあるようだ。しかし、これらの作品の評価が決して低くなったのではない。したがってこれらの作品を映像遺産として管理保存し、後世に贈ることは関係者の責務であると思う。
唐突であるが、科学映像館の英語名が、まだ決まっていなかった。山形国際ドキュメンタル映画祭担当者からの問い合わせがあり、岡田一男本会副理事長と相談、Sicence Film Museumと決定。
7日金曜日は、ブログと映画の配信はお休み。10日からThe Bone II制作の舞台裏を。お楽しみに。
2007年 09月 03日
撮影後日談
長期間の撮影には、予期せぬハプンニングも。その間、米作さんとは幅広い話し合いが。映画の制作論、教育論などなど。その中に米作さんの健康管理への話題にも及ぶ。夜、走ることもの返答に、そこで小生も。ところが11日目の夜、河原で見事に転倒し、右ひじの骨折で5ヶ月のギブス生活。骨分野への研究は、遅まきながら奇しくも骨折と映画の制作でのデビュウへと。またスタッフと研究室の補助者とのロマンもあり、The Boneは思いで深い作品となった。

製薬会社には必ずしも歓迎されなかったと聞く。板ばさみとなった担当者の苦労は痛いほど感じられた。しかし、この映画の国内外での学術的評化は予想以上に高く、とくに海外では。イギリス、シェフィールドのカニス博士にこの映画を観て貰う機会があり、2日後に開催される欧州の骨代謝学会で上映しないかとの急遽の要請。しかし、帰国後の予定もあり、映画を託して帰国。その学会では世界各国の出席者から、絶賛されたと聞く。海外での予期せぬ評化が第2作、The Bone IIの企画へとも。またThe Boneの帝人は、活性型
ビタミンDの製造、販売会社と海外の骨関係者に強い印象を。よくある逆輸入の話。
NHKを初めとする国内外メデイアでこの映画を使用。また教材としても。大阪大学医学部を始め、国内外の大学から使用希望願いが相次いだと聞く。本年春にも東京大学教養学部からの購入希望が。各企業は費用対効果のみでなく、中身の濃い後世に残る映像の制作、そして過去の名作を保存し、活用することにもっと目を向けてもらえればと。社会への還元、よい意味の道楽も。