2008年 03月 18日
68の車輪の撮影者の1人、春日 友喜氏から近々レポート
68の車輪は3月になってもトップを走り続けています。企業戦士の活躍、当時への色々な思い、貨車、貨物自動車マニヤなどに支えられての結果とおもいます。とにかく、多くのブログで紹介されています。
この映画にはスタッフの明記がないのですが、先日の第2回上映会会場にカメラマンの春日友喜氏がこられ、撮影の裏話を少々お聞きしました。撮影のご苦労、ハプニングもあったとのこと。そこで撮影について書いて欲しいとお願いしたところ、ご承諾を頂き、近々ブログでお伝えできそうです。御期待下さい。
2008年 03月 17日
NPO法人の住所変更、何とか
NPO法人科学映像館を支える会の主たる住所は、2月上旬まで埼玉県ふじみ野市にあったが、契約満期のため富士見市に引き越し。さてこの手続が大変。各地区にあるNPO法人支援センターによると、臨時総会を開催のうえ、変更願いを提出とのこと。ガイドブックに変更願の雛形なし。支援センターで初めてこの様式にかように記載し郵送とのこと。
さらに定款2条の主たる住所の変更ゆえ、法務局に出頭とのこと。変更願の様式は、その際手渡されるらしい。とにかく法務局で説明が必要とのこと。支援センターに変更願いの用紙くらい準備してもらいたいと思うが如何。とにかく縦割り行政にうんざり。そして住所の変更になぜ臨時総会まで必要なの。
2008年 03月 16日
天下り、何とか?
20年前(?)になると思うが、天下りの存在がささやかれ始めた頃のお話。当時、筆者の子供は中学生。某省の課長さん(ノンキャリヤー)のお嬢さんの席仲人を。何回かお会いし、子供の話に。彼氏いわく、子供さんは是非お役人にされるといいですよとのこと。娘でもとの質問に、当然。総論と各論は別ですと。残念ながら、子供にその才能も意志もなく、別の道に。
彼の履歴を具体的にお話していただいた。彼は地方大学の工学部出身。某省の課長で、当時の金で1億円前後の予算を自由に。県庁への出張などは名ばかり。資料は空港で、会議では2,3分の挨拶で全て。
例の片たたき、まず天下り先を5件示され、気に入らなければ、もう5件の提示。これで2年3期、第2の人生が。彼は裸一貫で上京してきたが、まずまずの老後の心配はないと。年俸、蓄財すべてお聞きしたが、最近の話題の額どころでは。日本は今でもとにかくお役人天国。
2008年 03月 14日
資生堂企画の映画4月から配信予定
資生堂は1972年、The Skin,の科学映画制作に始まり、皮膚を多方面から科学的に究明。例えば、皮膚と呼吸、皮膚は生きている、こころと皮膚、夏の肌、紫外線と肌、においの科学、洗顔、化粧品と皮膚呼吸など。最近の化粧品、見かけが前面のように思われるが、資生堂は科学的資料をもとに化粧品作りに取り組んできたようだ。
また伝統文化面の映画もリストアップされている。ひな祭り、葵祭、女性分化史ー平安の幻想、十二単など30編の映画配信を予定。乞うご期待。
一方、野尻湖ナウマン像発掘の記録。調査団が企画した3篇中1編の35mmネガ原版の
所在が明らかに。他の2編も制作会社が現存、制作者も現役でご活躍とのこと。、配信の開始にも現実味が。1960年前のドキュメンタリー映画を明らかにするのには時間が。
また最近、東北地方で永らく活躍されている映画会社の方から、旧金ヶ崎町農協制作、
甦る農民魂、他2編の映画(DVD)がもたらされた。検討してみたいと考えている。その他配信中のカットについての使用希望など、科学映像館活動が徐徐に評価されているようである。
2008年 03月 12日
野尻湖ナウマン像発掘の記録、配信への道のり
先日、野尻湖発掘調査団のご了解を得、配信へ一歩前進。昨日博物館から送られてきた2本の映画を東京光音で試写。頻繁に上映されたのか、映写機管理の問題か。映写よる傷が10数本、これは何ともしがたいとのこと。ごみ、カビの類、色調は再生できるが。でもなんとかしたい。
すでに制作会社は存在しないし、制作者もすでに亡くなられているとのこと。版権は発掘調査團にあるが、原版や如何にとあいなった。博物館と我々で調べてみたところ、1編はフィルムセンターで保管されていることが。しかし制作会社(版権保持者)はないので、博物館の責任で何とか使用が可能に。この映画に関係された方は、野尻湖ナウマン像博物館(025-987-9873)または科学映像館(049-261-9500)までご一報お願いします。
しかし、こう言ったフィルムが約1,200編フィルムセンターに保管されているとか。多分、今後、日の目を見ることはないのでは。何とかならないのかと思う。版権と保管の義務は裏腹ではと。勿論制作した映画をきっちりと保管している会社もあることを関係者は肝に銘じて欲しいと思う。