2007年 07月 23日
科学映像館のホームページ(7月23日、その1)
今回の活動でホームページの果たす役割は大変大きく、その企画と制作はフィルムのHD化とともに最重要課題であった。ホームページの表紙は、活動内容の全てを物語るので「小淵沢チーズ工房」のホームページでも、素晴らしい企画力とセンスを示した竹内さんに当ホームページのデザインをお願いした。活動内容にマッチした迫力一杯の表紙。一方、他の頁は色彩豊かな写真などが貼り付けられることを予想し、地味なデザインでまとめてくれた彼のセンスに感心。
科学映像館HPでは、映画の配信が中心であるから、如何に視聴者が観やすく、また情報を発信できるか
工夫をこらした。各映画について詳細な説明を付記した。制作プロダクション名、英語版の有無、映画の
内容、制作者、学術指導者、企画会社名、受賞暦など。
高画質の映像を送信しようと、最初、3Mビット/秒の話もあったが、サーバーと送受信の環境も考慮して
1Mビット/秒での配信に落ち着いた。当事務所のマンションタイプの光ファイバーでも、先日受信に不具合が起こった。過ぎたるは猶、及ばざるがごとしと反省。時間的な余裕ができたら、760Kビット/秒の2段階での配信にしようと考えている。また家庭では観られるが、大学、会社で観えないとの話も聞かれる。
なんとも皮肉な話。
2007年 07月 20日
なぜ「科学映像館」と名付けられたのでしょか (7/20)
私はもともとカタカナ言葉大嫌いです。イノベーション、戦後レジューム、コンプライアンスとか、ファカルティディベロプメントなどなど。カタカナが氾濫しすぎてますよね。日本語で表現していただければ、もっとわかりやすいと思っています。でも、今回、最初はフィルムセンターとかフィルムライブラリーで副題として小林米作の世界などが候補としてあがってきました。しかし、どう考えてもしっくりいかないんですよね。フィルム時代の名画を扱うのであれば、やはり「映像」がふさわしいので、生命科学映像館。少し長すぎるので落ち着いたのが「科学映像館」でした。さらに、小林米作の副題をつけると作品の範囲が狭まることが懸念され、また、小林健次氏(小林米作氏のご子息)からも小林米作の名前を表から消してくださいとのお申し出もあり、最終的には削除いたしました。
「自然のなぞ、神秘に迫る感動」を副題としてつけました。この主題、
副題で私達の活動の概要がほぼ理解していただけるでしょう。
また、私たちはこれにふさわしい作品を収集する基準ともしています。
フィルムのリールとDVDを重ね合わせたロゴはそのものズバリです。自然に落ち着いた名前とロゴでしょうか。
最近、ネットの世界でも科学映像館は超有名となり、「YouTube」科学映像館などなどが見られます。これも活性化という意味では歓迎していますが、固有名詞とも考えられるのですがね。気をつけて使ってほしいという気もします。
では次回をお楽しみに・・・
2007年 07月 18日
空間劇場のオープンから今日まで
4月1日正式にオープンした科学映像館は、NPO法人も3日、正式に書類が受理されました。今後の仕事は、選定したフィルムの調達と一般会員のお願いでした。フィルムの搬出はそれぞれの事情があり、必ずしも順調ではありませんでした。2社のフィルムが東京光音にとどいたのが、4月10日前後で、やっとHD化の作業へと。平行して会員の募集を開始、2,3日後、払い込み先の確認などの電話を頂いた時、いよいよ本格的活動を実感しました。約30%以上の方からご入会のご返事を頂いた。金が必要な場合はまた送るよ、とのお手紙。入会希望者の紹介など。持つべきは友なり。約120名のご入会があり、応分の会費が届けられ、私たちに大変な力を与えてくれました。会員の皆さんに心からお礼申し上げます。
東京光音の大車輪の作業で、生命誕生のHD化が連休前に知らされました。東京シネマ新社代表岡田さんの夜を徹しての作業で、HDカムからコピーしたDVDの静止像がSDレベルの写真とともに続々と転送されてきました。岡田さん、自社のSD作品も頑張っていてねの言葉にHD化の意味があったのかなと、一瞬不安がよぎることもありました。
しかし、よくよく両者を比較してみると、タイトルバックの色は、くすんだ灰色が澄み切ったブルーへ、生々しい黄身の色、そして脳の表面に初めて見られた血管像。完全に甦った生命誕生を目にしたのです。5月1日、HDレベルとSDレベルの生命誕生を対比した写真とともに1Mビット/秒で配信を開始。記念すべき1日となりました。サーバーの解析では、生命誕生の配信開始日になんと123件の視聴回数があり、視聴時間は約2時間。5月1ヶ月間で473件の視聴回数、視聴時間は10時間を越えていました。HD化した生命誕生がいかに衝撃的であったかを物語っています。今日でもその視聴数は衰えることがありません。彼らが残した名作中の名作であり、現役であると言えるのでしょう。
連休が終えると、次のプログラムが待っていました。HD化作品を再生装置が完備しているホールで一般の人と一緒に観てみたいと。立地条件が悪く、またウィークデイにもかかわらず、遠くは茅ヶ崎から、そして深谷市の職員の参加もあり、感激の1日となりました。上映会を定期的に企画すればとのご意見もありましたが、もう少し基盤を固めてのことでしょう。当分は他のイベントと共催の形で上映し観てもらえばと考えています。
先日、第22回骨の健康づくりセミナーin札幌『参加者330名』で生命誕生を上映しましたが、大変好評でした。今後の普及活動の在り方かと思われます。
私達はホームページに映画の配信とともに周辺情報を頻繁に掲載しています。科学映像館もネットの世界で評価され、同名のサイトも見られるようになりました。歓迎すべきこと思っています。先日もロビーにパンフを置かしてほしとの電話がありました。また京都市立美術館から出演者についての問合せ、奈良先端技術大学院大学から市民フォーラム使用できないか?また韓国で開かれるセミナーでの使用希望など、徐々に反響が感じられます。先週から企業への協賛の依頼と財団の検索を行っています。
先日、朝日新聞の田辺編集委員と辻論説委員に東京光音にご足労頂き、HD化した生命誕生を観てもらいました。HD化作品の迫力に大変感心され、科学映像館についても十分理解して頂きました。
東京光音では、あらゆるフィルムの再生とデジタル化に取り組んでおり、私的なもの意外に、古き時代を反映したあらゆるサイズのフィルムのデジタル化に大きな関心を持っています。また最近、35mm以外のフィルムをHD化できる新装置が稼動し始めたようです。
一度書斎に眠っているフィルムはないかと。探してみるのも楽しい夏休みになるかも。
以上が今日までの科学映像館の歩みです。今後、日々の出来事を日記風と考えています。
ではでは、お楽しみに・・・
2007年 07月 17日
【1】科学映像館設立までの背景 ・・・つづき・・・
これには、いくつかの原因があると思いました。動画配信が、時期尚早で理解されなかったこと。初期はサーバー代などの経費が高かったこと。しかし、最も大きかった壁は版権の問題。配信でビデオが売れなくなるのでは、とプロダクションの反応。また企画した会社は版権のみを主張。使用していないのであれば、社会還元すればとの呼びかけもむなしく、ネットの拡大は予想以上に困難でした。書籍の場合、売れなければ、そく絶版。映像の版権にも柔軟な考えが、新しい科学映画映画の制作と活用に繋がるのではと。
先日、こんな面白いできごとがありました。ある会社の支店から、私たちの事務所に自社製作のビデオを貸して欲しいとの申し入れ。会社の制作の意図と活用方法が明確でないです。フィルム時代ならばコピー代も大変でしょうが、ビデオであれば名刺代わりにすればと。
ところが昨年夏、1つの転機が訪れました。
小林米作さんのフィルモグラフィー出版記念会が、永年住んでおられた茅ヶ崎で開かれ、生命誕生など3作品が上映されたのです。会場の反応は予想以上で、まだまだこれらの作品は現役で、今日でも通用すると思われた。朝日新聞がこの模様を取り上げた翌日、配信中の映画に約20倍のアクセス数が見られたのです。とにかく知られていないのです。また、東京シネマ新社代表の岡田さんから、当日、高画質のデジタル化が可能との話を伺いました。岡田さんはフィルムの保存と活用に永年、デジタル化、特に高画質のデジタル化に取り組んで来たとか。
記念会後、再度科学映画の保存、活用について呼びかけを始めました。徳島の大手某企業からの反応。そこで高画質のHD化を視野に入れた企画書を提出。2ヵ月後、芳しくない返事となりましたが、その間、テレビ朝日映像を初め、映画関係者、その他専門家に意見を求め、何とかなりそうの結論。財団などの援助を受けるためにも、小規模でも具体化することがな大切との結論に達し、また企業に協賛金を得るにはNPO法人形式が好ましいと。
以前からの賛同者と相談の結果、私達が空間劇場の名称は将来のことを視野に入れ、科学映像館が最適であろうと。この決断は2月に入ってのこと。しかも設立は3月末と設定。NPO法人の申請準備、ホームページの企画と発注、ロゴマークの制作、フィルムの選定と提供者との供与条件についての申し合わせ、総会の準備と理事の就任依頼などなど。それぞれの歯車が見事に作動し、予定の4月1日、ホームページを開示、空間劇場、「科学映像館」の誕生となったのです。
しかし、その間、予算の目途もなく、一見順調なスタートに見えるでしょうが、山あり、谷あり、谷ありの骨健の事務所の間借りと借金でのスタートでありました。小林米作氏のご子息、小林健治氏からのHD化の経費をなんとかしますよとの一言。また金沢名誉館長からは、ご自分の作品は何とかしましょうとの申し入れ。さらに家内からの援助があり、科学映像館設立へ一歩を踏み出すことが出来ました。
周辺の人からは「さすがですね!」と、励ましとお褒めの言葉をいただきました。一見外から見るほど、順調ではなく、山あり谷ありの2ヶ月でした。多分、骨健のスタッフはいつ切れるのかと、はらはらの毎日であったと思います。20数年の思いと、自分が皆さんにお願いしたこと。また皆さんが思いのままにやらしてくれ、積極的に協力してくれたこと。本当にありがたかったです。またこの活動は環境的にも期は熟していました。大型動画の配信が可能、大容量のサーバーとその費用が2,3年の間に大変安くなり、東京光音の技術力と誠意ある対応など本当に幸運に恵まれました。
次回は、「 開館から今日まで 」をお話しましょう。
ではでは、
2007年 07月 13日
はじめに・・・
たくさんの方に支えられ、4月1日にオープンした空間劇場、「科学映像館」も順調で進行、
現在HD化作品6編、SD化17編を配信しています。
予算面でも会員のご支援に支えられ、何とかこの3ヶ月間仕事を進めることができました。
そこで今回、少し余裕ができたので、堅苦しいホームページとは別に、「科学映像館」設立までの舞台裏をお話をしてみましょう。
今回は科学映像館設立までについて、述べてみたいと思います。
【1】科学映像館設立までの背景
戦後、報道カメラマンであった小林米作氏が、東京シネマ代表の岡田桑三氏と一緒に世界に冠たる科学映画、特に「生命科学映画」を制作しました。
しかしながら、時代の変遷とともにこれらの映画は全く秘蔵化され、ほとんどの人がこの映画の存在を知らない状態となっています。
先日開催された「骨の健康づくりセミナーin札幌」(340名参加)で、代表作である「生命誕生」を上映したところ、私の予想に反して誰一人観たことがないという結果に大変びっくり。こういった映画を何とかして世に残し、教育や研究の現場で活用してもらいたいとの考えが、設立の原点です。
また私は、1970年の後半から小林米作氏と骨に関する映画を制作する機会に恵まれました。小林氏の映画はもうすでに分かった内容を映像化するのではなく(教育映画)、まだ未知の生命の神秘、謎への挑戦、いわいる科学映画の制作でした。私達は15年間、骨に関する3編の映画制作に関わりましたが、新たな多数の情報を得ること、映像の力を常に実感しました。すなわち映画の製作は研究そのものでした。
映画から得られた情報を元に破骨細胞の起源と形成、骨溶解に関わる新しい酵素の発見へ、また骨細胞の研究の糸口をも作ってくれました。第2作、「THE BONEⅡ」を米国骨代謝学会で映画を上映すると、「君の名は」現象も起こり、隣の会場は全く空っぽとなりました。三回ものアンコール。
20年に亘って、各地の大学で特別講義をさせて頂きましたが、映画の上映を始めると、今まで寝ていた学生も息を飲んで、映像に見入ってました。彼らの感想文から色々な要望もあり、骨折からの治癒過程における細胞たちの働きを映像化したものが「骨折~治癒の記録~」であります。
若い先生方からは、「この貴重な映画を残すのは先生の責務である」とも言われ、本当にその気になったとも思えます。したがって私からすれば、科学映像館の設立は20数年前から芽生えたとも言えるのでしょうか。
こういった科学映画を活用し保存には大きな組織が必要でしょう。しかし、日本では新しいものには目を向けるが、過去には非常に冷たい、特に科学映画には冷たい感じがします。色々な文化財団を調べても新しい映像の制作のカテゴリーはありますが、フィルムの保存に関するものは全く見当たらない。日本財団で日本の伝統文化を継承の支援というカテゴリーを見つけましたが、その内容は踊りや太鼓などとのでした。
したがって私達は、「過去の映画の保存」の新しいカテゴリーを設けてもらうのが活動の第1歩です。我々の科学映像館の活動が関係者の目に留まれば、留まってほしいとの気持ちです。
次回は実際、オープンに至るまでについてお話します。
ではでは、理事長