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科学映像館理事長の久米さん。映像遺産を守り、生かすための日々!
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ロマの人々とクルド民族―差別と排斥・迫害の歴史 (1)

  

ロマの人々とクルド民族―差別と排斥・迫害の歴史―

           4月三水会報告 岡本好廣氏

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岡本好廣氏プロフィール

早大卒・学生時代から生協運動に従事,

日本生活協同組合連合会常務理事、

(公財)生協総合研究所専務理事を歴任し、

現在、三水会常任幹事


2019年4月17日  

内幸町・日本プレスセンター9階

日本記者クラブ小会議室  


              はじめに

 三水会の古い会員に大利(おおり)貴彦(たかひこ)という方が居られた。日本長期信用銀行(長銀)にお勤めで、三水会では80年代には「金の話」「銀行、証券、グリーンカード」といった金融に関わる報告をされていた。その後バブルが進み、長銀が巨額の融資をしていた消費者金融の大手プロミスの経営が悪化すると、立て直しのために派遣されて社長として奮闘された。経営を改善して戻ると間もなく長銀自体の経営が破綻した。日本経済がどん底に落ちる前触れであった。


 ここで大利さんは大きな転換を決意された。長い間の銀行員生活に終止符を打って研究生活に入ったのである。テーマは誰も予想しなかった「被圧迫民族の研究」であった。大利さんの研究方法は文献資料を読んだ後現地に行って調査し、その上で研究誌を作成する。自宅の離れに工房を作って数台のパソコンと印刷機、製本機を設置して、執筆、入力、校正、製版、印刷、製本を全部自分でやって完成させる。いずれも100ページから200ページに及ぶ力作である。


 大利さんと親しかった私は横浜市金沢区能見台のお宅へ行って制作の工程を見せてもらったことがある。とても素人と思えない手の込んだ仕事である。こうした作業は1990年代後半から2000年の初めまで続き、数十冊の報告書を作り上げられ、その都度三水会のメンバーにも下さった。また三水会でもよく報告された。

「アメリカンインデアンの戦い」(19973月)

「蝦夷の歴史(アイヌの圧迫の経過)」(199810月)

「琉球の歴史」(19994月)

「ケルトとアイルランド」(20007月)

 この頃から奥さんの認知症が進み、本人も癌に侵されて執筆が滞り始めた。200782930日に鎌倉で実施した「1冊の本に託して死生観を語る」合宿研究会には大利さんは病気が進行して出席できなかった。2008716日に予定していた報告は資料を野口幹夫さんが代読して進めた。「チベットの歴史と仏教」(20087月)これが大利さんの最後の報告であり、この報告書が絶筆になった。


 大利さんが現役時代を180度転換させて退職後「世界の被圧迫民の研究」に打ち込まれた姿を見て、私もいつかこの問題に取り組みたいと考えてきた。昨年1月例会の「世俗社会を離れて信仰に生きる人々」―ロシア旧教徒とアーミッシュー報告は、ロシア辺境の地やシベリア、日本に渡って自分たちの信仰を守り抜いた人々、ドイツからアメリカへ移り住んで昔ながらの信仰を送る人たちを取り上げた。今回は「被圧迫民族問題」報告の第2弾である。


# by rijityoo | 2019-04-25 23:15 |  三水会 便り(5) | Comments(0)
ロマの人々とクルド民族―差別と排斥・迫害の歴史 (2)

1.ロマとはどういう人たちか?

(1)ロマの人々との出会い

ロマは新しい言葉で日本人だけでなく、海外でRomaといっても知らない人が多いが、Gypsy、ジプシーといえばよくわかる。しかしその後国際的に差別用語として使われなくなり、ロマ、Romaに変わったが、日本ではあまり浸透していない。私がロマに始めて会ったのは、当時未だ西ドイツであったフランクフルトでのことであった。名所見学のため広場に止めてあった観光バスに突然女性と子供の集団が押しかけてきて窓をたたいて開けろと云う。籠に入れている花や小物を買えというのである。現地のガイドと日本人の引率者は取り合わず、絶対に窓を開けてはいけないという。


未だバスに戻っていない人がいるので、引率者が車外へ出て迎えに行こうとするとこの連中が殺到してくる。押しのけるようにして残った人たちを乗車させてようやく出発した。説明によるとヨーロッパ各地を浮浪するジプシーとのことであった。ジプシーの存在は以前から知っていたが、会ったのは始めての経験であった。ドイツだけでなく、この後訪れた国々で聞いてみたが、どこでもジプシーのことは口にしたがらない。この状況は今も変わっていないようである。

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今回,国を持たない世界の2大被圧迫民族として、ロマとクルドを取り上げることにした。前者は人口1,0002,000万人、後者は2.5003,000万人といわれているが、人口統計がないので正確には判らない。両者の性格も対照的である。

・ロマは性格がやさしく、スリや泥棒をしても人を殺したりはしない。独立も求めない。

・クルドは猛々しく、クルディスタンという領域内でしばしばテロや反乱を起こし、部族間争いも絶えない。「国土を持つのがクルド民族の悲願」だとして戦い続けている。


(2)ロマのルーツと広がり

ロマは10世紀半ばにインドのパキスタンに近いラージャスターン州に住んでいた人たちがタタール人に追われ、食料不足から逃れるために1万人を超える集団でバルカン半島へ移動したと云われる。ここから東欧の各地に散らばったとされるが、相当長い間にわたったと考えられる。ロマがジプシーと呼ばれたのはジプシー(エジプト人)がなまったものである。


フランスには1427年にエジプトから来たというジプシーの記録があるとのことである。ジプシーは南方や東方からやってきた異形の異教徒を総称したものであり、インドからやってきた人たちだけを指したことではなさそうである。ジプシーは差別的ニュアンスがあるというので、ロマと云い始めたが、イギリスには「トラヴエラー」(移動しながら生活する人)という云い方があるとのことである。実際は旅人として遇されるのでなく、蔑視され、邪魔者扱いにされて危害を受けることもあった。言葉はサンスクリット系のロマニ語の各種方言を使うとされる。この言葉は分岐が激しく、相互に通じないことがあるとのことである。

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そのため住んでいる国の言葉をやりくりして使う場合が多い。独自の文字はもたない。宗教は居住する国の主要な宗教を受け入れている。イスラムもカソリックもプロテスタントもいれば、ギリシャ、ブルガリア正教徒もいる。職業は楽士や大道芸、博労や鍛冶屋、行商や占いなどが主なものとされるが、これに限らずいろいろな職業がある。どの国でも土地を所有して商売することは許されない。音楽が大好きで、プロの音楽家を始め、どの国でも冠婚葬祭があると呼ばれて演奏し、歌い、踊って祝儀を貰うのが生活の糧になっているようである。


ロマの人々は家族や小集団で暮らし、他の集団と一緒に生活することは少ないが、音楽祭だけは一緒にし、遠くからも参加するとのことである。ここで入賞すると冠婚葬祭に呼ばれた時の祝儀のランクが上がるので、生活に直結するイベントになっているのである。音楽はロマの人々にとっては生活そのものといっていい存在である。ロマの人々は物の所有に執着しないので、勤勉でなく怠惰や不道徳を指摘されることもある。


世紀を重ねるにつれて放浪の民に他の民族も加わり、インドだけをルーツにすることはできなくなっている。しかし多くは髪が黒く、褐色の肌をしていてインドの影響は強いようである。国をもたない人々なので詳しい歴史は判らない。どの国でも極めて少数派で、差別され、迫害されて生きてきた。こうしたことから放浪の民といわれてきたが、現在では放浪民は20%程度で後は半定住や定住のようである。ロマの人々にとってバルカン半島は第2の故郷と云われており、ここからヨーロッパ各地へ移動して行った。最近はヨーロッパだけでなく、アメリカへ移住して暮らす人たちも増えてきた。ロマの人口は推定1,000万から2,000万人と幅が大きい。ロマ人が居る国ではできるだけ少なく見せかけようと過少に報告し、ロマの人々も自分の生い立ちを隠そうとするので実際の数より少なくなる傾向がある。小集団で分散して暮らしているので、国家への帰属意識はなく、自分たちの国を持とうという意識もない。その点は同じ国をもたない民でもクルド民族とは大きく異なるところである。


 余り知られていないが、ロマの家系に繋がる人々の中には世界的な有名人が居る。自らは公開したがらないので、死後公になることが多い。なかでも目立つのは音楽家と俳優であり、ロマの人たちの現在の生き方にも繋がっている。

・ヨハン・シュトラウス二世 ・カルメン・アマヤー ・チャールズ・チャップリン

・ユル・ブリンナー ・リター・ヘイワース

異色なのは元アメリカ大統領ビル・クリントンである。日本人では小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が挙げられる。


# by rijityoo | 2019-04-25 23:01 |  三水会 便り(5) | Comments(0)
ロマの人々とクルド民族―差別と排斥・迫害の歴史(3)

(3)ロマの虐待とナチスのホロコスト

その昔ロマの先祖が長い期間かけてやってきたのはバルカン半島であった。その中でもルーマニアが多かった。バルカン半島の他の国々では追い払われることが多かったが、ルーマニアは積極的に受け入れて農奴や奴隷にした。他の国々から追い出された人々まで集めたのである。こうして現在に至るまでルーマニアで居住するロマ人が一番多い。人々はルーマニアを始め、多くの国で虐待され続けた。

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1次、第2次世界大戦を通じてロマは激しい弾圧を受けたが、特にナチスドイツによるホロコストでは多くの人たちが犠牲になった。強制移住と強制労働を強いられ、優生学の立場からロマはユダヤ人とともに、絶滅すべき民族としてアウシュヴィッツを始めとする強制収容所に隔離され、次々に殺された。その数は25万人から50万人、あるいは50万人から150万人ともいわれているが、全く記録がないので実数は判らない。戦後ドイツのユダヤ人虐殺に対する謝罪と補償が行われたが、ロマに対する犯罪行為を認めたのは1982年のことで、ユダヤ人への措置に比べると32年も遅れた。ドイツに倣ってルーマニアでもロマのホロコストが行われたが、実情は明らかにされていない。ロマが住んでいる国は35か国に及ぶ。EUの推計では、ルーマニア185万人、ブルガリア75万人、スペイン725千人、ハンガリー70万人、スロバキア49万人、フランス40万人、ギリシャ265千人、チェコ225千人、イタリア14万人などとなっている。この他、イギリス、ドイツ、ロシアにも分布している。

 次に示すのはロマの旗である。国がないのに旗だけはあるというのは奇妙だが、せめて旗だけでもということかもしれない。描かれているのは移動に使った車の車輪であり、成程と思わせるものがある。

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でもということかもしれない。描かれているのは移動に使った車の車輪であり、成程と思わせるものがある。

                                 

()ロマの置かれた境遇と生活

 ロマはどの国でも差別され、迫害されて苦しい生活を送ってきた。最も人口の多いルーマニアでは特に差別が根強く、就学、結婚、就職、転居などあらゆる面で苦しめられている。遠い昔からルーマニアでは習慣としてロマへの差別が続いていたといわれる。21世紀に入った今でも差別は激しく、EU諸国からの強制送還でロマの人口が急増しているのも要因である。自己申告による国勢調査では50万人となっているが、出自を隠している人が多くそこから185万人という数字が出てくる。

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 ロマへの差別を批判する国際世論に対してルーマニア政府は「国内にロマはいないので、ロマに対する差別もない」と主張している。これは後半で取り上げるクルド問題に対してトルコ政府が「我が国にクルドという民族は存在しない」と主張しているのと一緒である。ルーマニア政府に云わせればロマは居ないから差別もないということで、改善策を一切講じていない。しかしルーマニア国内では実際に残虐なことが起きている。「ルーマニアの奴隷村」を警察が強制捜査という新聞記事である。それによるとブカレストの北170キロにあるベレボイエシュティ村で、村民が拉致してきた数十人の若い男性や青年を鎖で繋いで虐待していたことが判ったとのことである。彼らはいずれもロマである。ロマは居ないという政府の言い分と異なり、実際に居るロマの人たちはこのような虐待を受けているのである。それにしても未だに奴隷が居るというのは驚きで、各国の新聞に報道されたが、被害者がロマだと判るとヨーロッパでの受けとめ方は冷淡である。程度の差はあっても殆どの国がロマに対する差別を行っているからである。


 ルーマニアを始め中欧諸国では19世紀まで奴隷市が修道院などで公然と行われていた。これは1852年に行われた奴隷市のポスターである。「売り出し中。極上のジプシー奴隷。185258日、聖エリアス修道院でセリにより売却。成人男性18人、少年10人、成人女性7人、少女3人。健康状態良好」と書かれている。

『ジプシー差別の歴史と構造』イアン・ハンコック著 水谷驍訳 彩流社

この冬のルーマニアのポスターの写真コピーはブカレストのニコラエ・オブレスク氏から贈呈されたと記されている。


今年4月8日のNHKニュースウオッチ9は衝撃的な事件を報道した。パリの川べりでロマの人々のテントが次々に襲われ、抗議する支援団体の人たちに口汚いヘイトスピーチが浴びせかけられたというのである。これはフランスだけでなく、他の国々にも広がっているとのことで、これを憂慮した国連のグレーテス事務総長がヘイトスピーチを止めるよう異例の警告をしたとのことである。


# by rijityoo | 2019-04-25 22:54 |  三水会 便り(5) | Comments(0)
ロマの人々とクルド民族―差別と排斥・迫害の歴史(4)

(5)ロマの将来に向けて

ロマ問題への国際的な対応として世界銀行を中心に、国連の関連機関やNGOが長期的なプロジェクトを組織して取り組み、「ロマ包摂の十年(20052015)」という報告を纏めた。主要課題を<ロマと非ロマのギャップを埋める>ということに置いて進めてきた。具体的には教育、雇用、住居、保健面の充実であり、端的には貧困からの脱出である。この間の状況はロマの半数が相対的な貧困状態にあり、2割以上が絶対的な貧困ラインの生活を送っている。安定的な雇用は望むべくもなく、多くの場合住居らしい住居は与えられていない。従って保健状態も不十分である。


教育分野では3分の2が義務教育を修了していない。そもそもロマの5分の2が就学していない。ロマが住んでいるどの国をとっても一般の国民とは歴然とした格差の上に置かれている。実例を上げればルーマニアを始め、ハンガリー、チエッコなどではロマの児童に対して教育上の差別が行われている。ハンガリーではロマの児童だけ集めて分離教育を行っており、チエッコではロマの児童は軽度の知的障害の子供たちを集めた学級に入れているとのことである。

「ロマ包摂の十年(20052015)」はロマに対する保護政策の潮流が形成された以後も「反ジプシー主義的」な発言と行動は一貫して続いているとも指摘している。従ってこのプロジェクトは道半ばで、具体的な成果を上げられなかったことを指摘している。引き続き新プロジェクト「ロマ統合2020をスタートさせているが、統合が容易にできるとは考えられない。国際ロマ連盟内に対立があり、政策決定において誰がロマを代表するのかも重要な問題である。


一方ヨーロッパ各国で難民受け入れを拒否するポピュリズム政党が勢力を伸ばしていて、以前から差別されてきたロマに対する圧迫は一層激しくなっている。定住者が増えてきたというものの、依然としてロマは放浪者であり、生活様式も宗教も文化も違うので共生は無理との風潮がある。ロマをこれ以上増やさないために政府自らが国外退去させている国がある。退去させられたロマの多くはルーマニアに入るようだが、わが国にはロマはいないと宣言しているので非合法の入国になり、以前にも増して過酷な環境での生活を強いられている。


これを変えるにはロマ側の努力も必要であり、以前のようにそれぞれがばらばらで横のつながりが薄いという欠陥をなくさなければいけない。1971年第1世界ロマ会議がロンドンで開かれ、14か国からロマの出席があった。その後もこの会議は継続されているが、7年置き、9年置き、10年置きと開く年次も定まらない。連携の悪さや財政難によるものであるが、こうしたことを基本から改めていかなければならない。それでも「国際ロマ連盟憲章」「国際ロマ連盟の宣言」を決めたことは画期的である。「ロマは新しい国を求めない」という宣言をしたのは評価すべきである。どこかの国に割り込んで自分たちの国を創るというのでなく、それぞれが今居る国の一員として共生していくことをはっきりさせたのである。こうした態度に各国は応えて、国民として対等の扱いを進めるようにしてほしいものである。


国連はこれまでロマへの対応について関係国に何度も勧告を行ってきた。例えば「人種差別撤廃員会一般的勧告27では次のような勧告を行っている。

・ロマが自ら望む呼称および所属を望む集団に関して、ロマの希望を尊重すること。

・市民権および帰化に関する立法がロマ社会の構成員に対する差別を行わないこと。

・ロマ社会と非ロマ社会との間の関係(特に地方レベルにおける関係)を改善する努力を行う     こと。

・学校制度の中にロマ出身者であるすべての児童を含めることを支援すること。

・ロマの生徒に対する二言語または母語の指導の可能性を残しながら、可能な限りロマ

の生徒の隔離を防止すること。

・成人であるロマ社会の構成員の読み書きの能力の向上のため、義務教育年限を超えた教育体制を確保すること。

・雇用における差別的慣行を禁止する立法を採択し、より効果的なものにすること。

・行政および公の機関ならびに私的企業におけるロマの雇用を促進するための特別な

措置を講ずること。

・住居におけるロマ社会の隔離を回避することを目的とした政策およびプロジェクトを立案し、実行すること。

・保健・衛生サービスおよび社会保障サービスの平等な利用をロマに確保し、ならびにこの分野におけるロマに対するいかなる差別的慣行も撤廃すること。

・ロマ少数者または集団が、中央および地方のすべての政府機関に参加する平等の機会を確保するための必要な措置(特別措置を含む)をとること。

これらはじょじょに成果を上げつつあり、いくつかの国とその地方議会でロマ出身の議員が誕生している。またEUは経済援助を含めて積極的な対応を進めている。「反差別国際運動」(IMADAは国際ロマ連盟が決めた48日を「世界ロマの日」として、ロマに対する理解を深めるための催しを行っており、日本でも実施されている。


# by rijityoo | 2019-04-25 22:48 |  三水会 便り(5) | Comments(0)
ロマの人々とクルド民族―差別と排斥・迫害の歴史(5)

2.クルド民族とクルディスタン

(1)独立を悲願にしてきた民族

クルド人は先史時代に出現した民族といわれるが、詳細は判っていない。人種的にはイラン人と同じアーリア系に属し、アラブ民族やトルコ民族とは異なる。アラブ人、ペルシャ人と並ぶ中東地域における3大先住民族といわれる。古くからトルコ、シリア、イラク、イランに跨るクルディスタンと呼ばれる山岳地帯、高原地帯、平野部で牧畜や農耕を営んできた。クルディスタンの総面積はフランスに匹敵する広大なものである。長年住み続けてきたといっても国際法で認められた国家ではなく、他の国と隔てる国境もない。クルディスタンはタジキスタン(タジク人のイスラム国家)ウズベキスタン(ウズベク人のイスラム国家)と同じように呼んでいるが、広い地域の通称であって独立した国家ではない。b0115553_22340776.jpg


このためクルディスタンが広がる4つの国とは絶えず緊張関係にある。宗教は多数がイスラム教スンニ派であるが、「宗教の貯蔵庫」と云われるように多くの宗派がある。クルド語という独自の言語をもっているが、長い間に分岐して方言が多く、同じクルド人同士でも通じない場合があるという。またトルコのようにクルド語の使用が厳しく制限されて普及が遅れた国もある。広大な地域が山や谷に妨げられているため近隣を除いてはクルド人同士の交流が弱く、限られた地域の部族を中心に部族長や長老、血縁関係や宗教指導者で作られた共同体で暮らしてきた。悲願である自分たちの国家を建設しようとしても、部族ごとにがゲリラ部隊をもって独自に動いているようでは統一した運動にならない。


クルディスタンは石油資源、鉱物資源、水資源が豊かである。現にそれらを保有している国との確執が激しく、クルド人は共通の敵として圧迫されている。クルドは中東第4位の人口がありながら独自の国家を持つ機会に恵まれなかった。過去に何度も独立を試みながら果たせなかった。歳月が経過すればするほど国際世論は、新たに独立を試みる民族に対して冷ややかである。

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2次大戦後ユダヤ人が欧米の支援を受けて強引にイスラエルを建国し、今も中東における緊張を招いているからである。同じような緊張関係を再び持ち込むのは止めてほしいということである。特にトルコ、イラク、イラン、シリアなど国内にクルド人を抱える国は強く反対している。シリア戦争を巡ってアメリカとロシアが介入したが、クルド人が利用されてアメリカの撤退後トルコの攻勢に曝される恐れが出てきた。さんざん利用して後は知らないでは無責任の誹りを受けるので、アメリカはトルコにクルドを攻撃しないよう圧力を加えているが、結果はどうなるか判らない。トルコには周辺の山岳部に多くのクルド人が居て、武装闘争も起きている。これをどう解決するかは周辺国にとっても重要である。

      

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                   -

トルコのエルドハン大統領は専制独裁の政治を実行し、国内ではクルド人の行動を厳しく規制している。以前はEU加盟を果たすためにクルド人への圧迫を控えたことがあったが、既に関税同盟に参加していて無理に加盟する必要はないという立場である。トルコのクルディスタン地域でクルド人たちが蜂起しないよう徹底的に弾圧しており、過激なやり方は国際的にも批判されているが、平気である。トルコとは意見の合わないイランやイラクも、クルドへの厳しい対応には無言の賛意を示しているようにみえる。


 クルド人はオスマン帝国解体後に独立国家の樹立を求めたが果たせず、どの国でも少数民族に甘んじざるを得なかった。1959年にはイラン北西部にクルド人民共和国を樹立したが、イラン軍によって直ぐに解体された。イラクのクルド人は1920年代のイラク成立後自治を求める闘争を続けてきたが、イラク軍によって厳しく弾圧され、イラン・イラク戦争末期の1988年には化学兵器で18万人が殺されたという。湾岸戦争停戦後、再度立ち上がったクルド人をイラク軍が激しく攻撃した。


 このため25万人の難民が発生した。難民の帰還を促すため国連安全保障理事会はイラク北部北緯36度以北をクルド人の安全地帯と定め、多国籍軍が監視した。その後サダム・フセインが殺害されて、この地域は事実上クルド軍が支配することになった。問題はクルド人の組織が1つでないことである。この時はクルド民主党クルド労働者党PKKが勢力を2分していて、イラク政府との自治交渉が思うように行かなかった。内部の不統一は常にクルドにつきまとうアキレス腱である。


 クルド人が住むクルディスタンが古くから3つから4つに分かれていて、意思疎通が困難で時には疑心暗鬼に陥る。これは新たに国家を創ろうとする場合は致命的で、トルコ、イラン、イラクに見透かされ、分断統治の手段に利用されている。歴史的経過のある複雑な問題ではあるが、その解決なしには悲願の国づくりであっても前進することはできない。お互いに同じ民族だとは云っても、長い間国境と峻険な山に囲まれて孤立を余儀なくされてきた関係にある。如何にして一体的になれるか、重要な時期に来ている。


(2)最悪な状況にあるトルコとの関係

クルド人は紀元前8世紀にイラン高原でメディア王国を建設したインドヨーロッパ語族のメディア人が先祖といわれている。しかし紀元前6世紀にペルシャ人によって滅ぼされ、以後ペルシャ、アラブ、トルコ、モンゴル、ロシア、イギリス、フランスによる分割統治を受けてきた。そして現在「国土を持たない最大の民族」と云われている。総人口2,800万人の内41%に当たる1,140万人がトルコとそれを囲む国境地帯に住んでいる。これはトルコの人口の約4分の1に当たる。


 トルコのクルド人は外見上トルコ人より多少色が黒いだけで区別がつかない。多くが低所得の階層で長年にわたる同化政策でトルコに飲み込まれている。それを忌々しく思っているのがトルコを囲む山岳地帯に住むクルド人である。同化したクルド人は大都市に多いが、ロマと同じように出身を隠すので気が付かないことが多い。イスタンプールなどで見かけるのは街角でのコーヒー売り、パン売りやタクシーの運転手、建設現場の労働者などである。


 トルコ政府は国境周辺にいるクルド人を<山岳クルド人>と呼んで区別している。大部分のクルド人はトルコ国民として国内に住んでいるので、「わが国にクルド人は居ない」というのがトルコ政府の公式な立場である。クルド人が北クルディスタンと呼ぶトルコの国境地帯ではクルドのゲリラとトルコ軍が戦闘を交えている。これを指揮したクルディスタン労働者党PKKの最高指導者アブドゥッラー・オジャランが1999年にケニアのナイロビにあるギリシャ大使館の建物に匿われているのが発見され、トルコが手配した軍用機で移送された。トルコは一旦死刑判決を下したが、EU加盟を有利に進めるため死刑制度を廃止して終身刑にし、マルメラ海のイムラム島で服役中である。


 その後オジャランは武装闘争路線を放棄したが、別のグループが依然としてトルコに対するゲリラ闘争を続けている。ギリシャとトルコは常に争っている宿敵である。トルコでは独裁色を強めているエルドハン大統領はクルド人が抵抗を続ける限りクルドの存在を認めないと強硬である。シリアへの対応ではサダト大統領を支援するロシアと通じ、アメリカに対抗してきた。これに対してクルドの地域部隊はアメリカ側に加わってISの掃討を進めたが、国境ではしばしばトルコ軍の攻撃を受けてきた。トランプ大統領がシリアからの撤退を宣言し、クルド軍は窮地に陥った。アメリカはトルコがクルドを攻撃するのは許さないとしているが、どういう展開になるか予断を許さない。


# by rijityoo | 2019-04-25 22:40 |  三水会 便り(5) | Comments(0)